ID:43818
I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
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■配信の『S/N』についてのメモランダム
「“LIFE WITH VIRUS”:Teiji Furuhashi in New York」では、ZOOMを使って古橋さんの友人たちによるトークイヴェントも行われました。数日後にVimeoで観た。後日字幕付きで編集されたものがアーカイヴされるようですが、当時の関係者も多数参加していたチャットログは残らないんだよね、ぬかった…ZOOM登録に手間取って(……)リアルタイムでは観られなかったんだよ……。とはいえ、貴重な話がたくさん聞けた。古橋さんはじめダムタイプのメンバーの、アクティヴィストとしての姿を知ることが出来た。ブブさんは、「パブリックアートとダンスパーティーはセットであるべきだ」といった。

トーク中、東京で地震があった。司会を務めていたNormal Screenのディレクター、秋田祥さんがそのことを伝える。そうか、オンライントークだと揺れは伝わらないか、と変なところに感心する。そこから展開した話が興味深かった。

1995年1月、『S/N』東京公演直後に阪神淡路大震災が起こる。メンバーは西へ戻れず、会場だったスパイラルにしばしとどまることになった。そして3月、サリン事件が起こったことを彼らは海外ツアー先で知る。インターネットなどまだ普及していない時代。友人からFAXが送られてきたそうだ。古橋さんがどんどん弱っていくなか無我夢中だったけど、今思うと「非常時にアートは可能なのか」と常に突きつけられているようだった、とのこと。

当時を振り返り、記録として残す作業は絶対に必要なのだ。『M』を観たときにも思ったことだが、エイズ禍はアート(いや、そういった枠組みに限らず)に甚大な喪失をもたらした。HIVは今も根絶されていないし、今後もそうだろう。パトちゃんのことを思い出した。

・日本のHIV/AIDS啓蒙の土台を作ったDJパトリック、日本で頑張った20年間┃g-lad  xx
・【訃報】日本のHIV予防啓発に多大な貢献をしたDJパトリックさんが亡くなりました┃g-lad  xx
医療が発達し、発症を抑えられる薬も出来た。すると今度は、治療を続けるための経済力が必要となってくる。前進するのなら、社会は変わっていかなければならない。

そして、ブブさんがいうように「故人に今のことはコントロール出来ない」。それを忘れてはならない。

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・『memorandum メモランダム』古橋悌二、ダムタイプ
出版されたのは2000年、昨年4刷と息の長い重刷。必要とされ続けているのだと実感、出版社の志にも感嘆。
ポリコレについて、クィア・パフォーマンスについて、カミング・アウトについて。1980〜90年代の文献なのに、2020年代のことを読んでいるような気分になる。

・『日本の小説とHIV/エイズ』大池真知子 広島大学大学院総合科学研究科
こちらの方のツイート(有難うございます)で知った論文。当時はどうだったけと思い出してみている。
PARCO劇場は80年代から『真夜中のパーティ』『トーチソング・トリロジー』を上演していたけど、あれは青井陽治さんが持ってきたものなのかな。

・2006年に観た『トーチソング・トリロジー』
“初演された80年代はゲイがやっと自分のことを語り出した、語れるようになってきた時代だった。その後AIDSの存在が大きく影を落とし、また新しい壁が出来る。環境はどんどん変わる。それでもこの作品が現在に伝えるものは沢山あり、だからこそ多くの観客に愛されるのだと思う。”
この思いは今でも変わらないが、今この作品が上演されたら新しく思うこともあるだろうな。

05月10日(月)
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