ID:43818
I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
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■オフィスマウンテン『塹壕』
冒頭のツイートにある通り、帰宅後台本を読んだ。ストパのやめどころについてのくだりはあったが、「ストパかけちゃおっかなー」はなかった。台本通りに上演しているが、インプロの部分もあるらしかった。振付のクレジットがある通り、ふたりは各々ダンスのように動き乍ら、あるいは絡み合い乍ら台詞を発声する。カポエイラや柔術を連想するような動き。飴屋さんはときに痛いところを刺激されたかのように呻き声をあげ、山縣さんは膝にサポーターをしていた。肉料理の仕込みのように飴屋さんは山縣さんの背中をバチバチ叩き(調味料を擦り込んでいるようにも見えた)、山縣さんはホントに痛かったようでちょっと笑っていた。少しだけ和む空気。
膨大な単語、多数の韻。タイトルでもある“塹壕”は終盤に現れる。照明(部屋の明かり)がふ、と消える。停電? と一瞬思い、直後演出だと気付いた途端、恐怖が湧き上がる。雑居ビルの一室が戦場になる。カーテン越しの窓の外に、夜はまだ来ていない。塹壕を掘る、塹壕に入る。死体だらけの塹壕に取り残されたような気分になる。生きているなら、生き抜こうと思うなら、塹壕から出なければ。しかしここを出た瞬間死ぬかも知れない。弾が飛んでくるか、爆発物に触れるか。そして自分も、塹壕に積み上がっている死体のひとつになるのか……どうすればいい? 数秒で怒涛のようにイメージが沸き出る。この喚起力。
山縣さんの「終わりでーす」の声は、塹壕の底から這い出すためのロープのように感じた。そういえば、『スワン666』でも山縣さんの「終わりでーす」に我に返ったのだった。観客を現実に引き戻す効果のある声。
上演期間中何度も演じられる作品に、同じものはひとつもない。天気、気温、身体のコンディション、そしてインプロ。それは演者と観客、どちらにも作用する。そしてテキストをああいうふうに表現出来る演者はふたりといない。何度でも死に、何度でも生きる。ただ、いつかは死ぬ。それは身体を使い切る体力と知力に、回復力が追いつかなくなったときだ。あと何度生きられるか。
ビルを出ると外はまだ明るい。逢魔が時だ。山縣さんと飴屋さん、ふたりが身体をどう使い切るかを見た40分。二度とない40分。
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日の出町行ったの10数年ぶり、面影ラッキーホールを観にFRIDAY行って以来。で、ワイキキSTUDIOはFRIDAYの近所だった。大谷能生さんのスタジオなんだよなあ…と入場したら受付が大谷さんだった🫠
[image or embed]— kai (@flower-lens.bsky.social) Jul 13, 2025 at 1:01
ひぃとなった(笑)。改めてクレジットを見ると、「ワイキキSTUDIO共催」だったのでした。そしてFRIDAYは健在でした
07月12日(土)
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