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I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
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■『オバケ東京のためのインデックス 東アジア編』
それにしても……併合という名の実際は侵略の歴史なのだ、これは。ああ、こういう感じで日本は東アジアの国々を囲い込んだんだなあというか、よくいうよというか、どの口がいうかというか。現在のウクライナやパレスチナのこと、プーチンやネタニヤフ、そしてトランプの物言いを連想せずにはいられない。時代とはいえ土人という名称が平気で出てくるし、入植者の嫁養成学校についての記録もあるのだ。蝦夷地や琉球王国の扱いにしても、地方(てか九州)出身者としてはイヤ〜な気持ちになるどころか恐怖すら覚える。父は台湾からの引揚者だった。生前は楽しかった思い出だけを話した。帰国の際、食料と一緒に高価な食器を持たせてくれた方もいたそうだ。考えてみれば、父が引き揚げの際命を落としていたら、私も生まれていない。
講義で紹介された、残されていない記録について考える。それは意図的に抹消された不都合な真実なのか、或いは記録に残す迄もないと軽んじられた事柄なのか。その背景には、記録に残す術さえなかった数多の個人史がある。証言者は減っていく。実際、併合の過程を目の当たりにしていたひとはもう誰もいない。
悶々と思いは巡る。快晴の空は、そんなときでも綺麗に拡がっている。
会期中なのでネタバレ避けつつ、撮った画像など載せておきます。本編で紹介されなかったものも混ざっています。そうそう、スレッド最初の東京タワーの画像、実は飛行機も写ってるんですよ。
[image or embed]— kai (@flower-lens.bsky.social) Feb 24, 2025 at 17:49
レクチャーにもウォーク解説にも飛行機と鴉が登場する。街を歩くとどちらにもちゃんと遭遇。
こちらではネタバレ気にせず画像の説明を。1枚目は本編には登場しない。
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1枚目:昭和十五年に東京市が設置したらしい、ここは昭和十三年九月一日暴風により甚大なる被害を受けた公園だという説明
2枚目:東京大空襲で炭化した箇所のある戦災銀杏
3枚目:芝公園の鴉。全然ひとを避けない! 近い!
4枚目:北海道大学の前身、開拓使仮学校跡。北海道に移設することを想定し、学校名に「仮」と入れた。女学校が併設され、卒業後は北海道在住者と結婚することを誓わせた、と記されている。附属の「北海道土人教育所」のこと、そこへ38名のアイヌが東京に送られ、慣れない気候風土などが原因で死者も出たことは書かれていない
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音声はアーカイヴがあり、上演が終わったあとも個人で使えるようになっていた。当日歩けなかったひとは、配布されたQRコードから音声ファイルを呼び出して追体験が出来る。
ちなみに講義には旧李王家東京邸のことも出てきた。数年前、アフタヌーンティーで行ったところだった。
・旧李王家東京邸┃千代田区文化財サイト
どこから見ても絵になる現赤坂プリンスクラシックハウス。(中略)韓国併合時に設立された李王家の東京邸として、1930年(昭和5年)建てられたのが、現存する建物です。
それだけ聞くと、華やかで幸福な生活が営まれていたかの如く素晴らしい時を感じさせる場とも思われます。しかし、(中略)李王家も後に王族の身分を失うという悲劇の歴史が繰り広げられた場でもありました。
戦後身分を失い借金を背負った李垠(イ・ウン)とその妻方子が韓国へ帰れたのは1963年だったとのこと。当時は歴史も知らず、素敵なクラシックハウスだわ〜とかいって優雅にお茶したもんだが、今となっては後ろめたい。いくつになっても知識は得られる。知らないままでいなくてよかった。
佐藤さんは一昨年ポーラ美術振興財団在外研修員として台湾と韓国に滞在していたそうだ。その際「植民地時代の東アジア」についてリサーチしたのだと思われる。それ以前の『オバケ東京のためのインデックス』とはまた違った趣だったのかもしれない。気が早いが、次回があればまた参加したい。
02月24日(月)
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