ID:43818
I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
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■『美と殺戮のすべて』
クラウス・ノミにルー・リード(The Velvet Underground & Nico)、音楽もよかった。アンダーグランドシーンど真ん中のジョン・ウォーターズやディヴァイン、クッキー・ミューラーたちにまじり、普通にさりげなくジム・ジャームッシュやミッキー・ロークが収まった写真があることになんだかジーンとしてしまった。彼らもそこにいたのだ。みんな元気で。

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ナン・ゴールディン、個人的にはラリー・クラークと同じ箱に入ってるんだが、YMO再生(『テクノドン』)時の写真撮ってたよな。あれはどういう経緯だったんだっけと検索したら出てきた後藤繁雄氏の記事。あとで読む
TOKYO LOVE1994→2018 荒木経惟とナン・ゴールディンの変成 https://t.co/rv3NltUjwG— kai ☁️ (@flower_lens) April 18, 2024
「あの頃は人生を変えようにも、人生なんてなかった。生きてる感じがしなかった。麻薬中毒の症状がものすごく深刻になって、ついには6カ月間も家から出れなくなってしまったわ」そう過去を振り返り、僕に語ってくれたことがあった。
だからエイズの渦中にいるナン・ゴールディンと親しくなり、YMOのアルバム『テクノドン』の録音スタジオやニューヨークでの日々の「記録」の仕事を引き受けたい、と彼女が言ったときには、整理のつかない混乱の中に、時空の歪みの中に、身を投じる気持ちだった。
あ〜これ結構貴重な証言だった。映画では(周知のこととして?)あまり深掘りされなかった、ゴールディンが「再び」薬物中毒に陥る前のこと。“「拡大家族」をテーマ”とした作品でデビューし、“「エイズと写真(アート)」の渦中の人”になる間に起こったこと。友人たちが次々と亡くなっていたとき、彼女は何も出来なかった。何故なら彼女自身も死にかけていたからだ

・といえばゴールディンや荒木経惟が用いる、明らかに自分以外の人物がシャッターを切ったものも自身の作品として発表するという手法は誰が最初なんだろう? ゴールディンはそれら写真群をスライドショーにする作家でもあるが

・連載「その選曲が、映画をつくる」第12回『美と殺戮のすべて』写真家ナン・ゴールディンの半生に迫るドキュメンタリーの音楽┃NiEW(ニュー)
ドキュメンタリー作品において、こうした明示的な音楽の不在による劇的な効果というのはことさらに大きい。狭義の「演出」を排し「現実そのもの」へと観客の意識を向けさせる手法が、本作でも目覚ましい効果をあげており、私達観客は否応なくその緊張の只中に投げ入れられることになる。
「Mack The Knife」には私も違和感を覚えたというか……この曲、長閑な曲調だけど内容は怖いんだよね。それでダンスする両親を撮るゴールディンの胸中やいかに

・ナン・ゴールディンが見つめてきた人生┃SSENSE
どんなレッテルを貼られても、姉はそんなレッテルとは全然違っていた。彼女はただ生きようとしてただけ。
今回の映画が完成する前の対話。抗議活動の具体的な作戦についても語っている

04月18日(木)
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