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I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
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■『THE WILD 修羅の拳』『2024 小林建樹ライブ 25周年、一緒に楽しみましょう!』
とはいうものの、やはりこのひとの真骨頂はライヴだなあ。とも思う。頭の中の音楽を、身体を通して次々とアウトプットしていくプロセスが観られる、聴ける。まさに「実演」。いつでもどこでも繰り返し聴ける音源があることはとてもうれしいのだが、何しろ「実演」は毎回違うのだ。コンディション云々だけでなく、演奏そのものが具体的に毎回変わる。エレアコにもグランドピアノにもエフェクターをかまさず、楽器そのものの音を聴かせる。それでも毎回別ものなのだ。音楽がいきものになる瞬間を目撃出来る。
一時期はリズム(ひとりポリリズムの実践!)に興味が行っていたようだが、今はコードを探求中なのだろうか。ニューオーリンズジャズのテイストが感じられた。その上この日はギター(ピアノもだが。てことは結局どっちもなんだが)でえっらい複雑なコードを連発していた。コードを押さえること自体がもうたいへんそう(指がつりそう・笑)で、ひとつひとつ確認するような仕草でフレットを押さえていく。今日のライヴは(キーがD=ニ長調に代表されるような)明るいキーでつくった曲を選ぼうと考えて、と話していたが、もはやその音階を用いてつくったメロディにそのコードを当てるんかい、という領域に足を突っ込んでいる。このコードを当てたらどうなる? と実験しているようにも見える。そうなると、イージーに「明るい曲〜」なんていえる訳もない複雑な音が展開されることになる。「明るいのだが、何だか不穏」、「明るいんだけど、なんだか悲しい」。楽曲の新しい顔が次々と掘り起こされる。そのうえに一筋縄ではいかない歌詞が乗る。あの声で乗る。ますます曲の世界が拡がる。
菊地成孔が高橋徹也を評していった「トゥイステッドポップ」を連想する。コードを「当てる」、ビートを「置く」。釣りでいうところのアタリを探っている。ひとつの楽器とひとりの声が、捻りに捻ったアレンジで一周(か? 二周も三周もしているようにも)まわってポップに響く。ここでまた考えてしまう。自分で引用してしまうが、
菊地さん曰く「ジャンルミュージックにお手本がな」い。過去の偉人たちの功績に彼らにしか出来ない手法でアプローチし、曲を書く。“野生の思考”といえるかもしれない。そうして出来あがったものは、安易に名前をつけられない“発明”になる。だから、再び菊地さんの言葉を借りると「一回ファンになった方はもう一生離れない」魅力を孕むのだろう。これは小林さんにもいえること。
引用//・『小林建樹と高橋徹也、と菊地成孔の話』┃I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
野生のアナライズは、唯一無二の音を生む。「(略)テンションコードに出会ったのが十代後半。それまで探り当てられなかった中間の響き、着地しない感覚を得て曲作りが劇的に自由になった。独学と言えば聞こえが良いけどレコードと本のおかげ」という高橋さんのツイートを読み、あながちこの見立ては間違ってはいないのかもと思った。
ピアノを弾く姿勢はなんだかグールドみが増したというか、こんなにちいさくかたまって弾いていたっけ? と思う程背中を丸め、演奏に没頭しているよう。後半の予告なしメドレーでは、「えっ、メドレーなんだ!」という驚きとともに、曲間のブリッジに弾かれるコードから「次の曲はこれか?」「あれか?」と待ち構えるのも楽しい。ここはめちゃめちゃエキサイティングだったなー。演奏後「独りよがりになってしまって」と苦笑していたけど、弾いてて楽しくなっちゃうんだろうな。それを聴けるからこちらも楽しい。
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02月17日(土)
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