ID:43818
I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
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■パール兄弟 結成40周年〜ありがとう、ヤッシー〜
実際窪田さんは音づくりに関してかなり参ってるようで、というか亡くなったときの「困る!」という言葉が顕著だったが、困り果ててる、途方に暮れてるという感じだった。まだどうやればいいか判らない、正解を探している最中、というか今やってるこれが正解なのかどうかすら判らないといっていた。勿論音に関してだけでなく、長年の音楽仲間が、しかも後輩というか弟のような存在が自分より先に鬼籍に入ることになってしまい、こちらの想像など及ばないくらいのダメージがあったのだと思う。あまりそういうところを表に出さないひとだが、というか実際ステージ上でそういう姿を見たことがないが(自分の勘当という名の脱退時でさえ「どうも自分には人情というものがないくさい」っていってたよね! ガッチガチに義理堅いくせに!)、下を向いたり、顔をしかめたりする場面が何度もあった。サエキさんがいつもの感じで軽妙な(そしてときどきデリカシーのない・笑)トークで場をまわして、まわし過ぎて何かいおうとしていた窪田さんが話すのをやめてしまったりもしたのだが、それはサエキさんの配慮なのかもしれないな、とちょっと感謝。
2ndセットでは、音源から抽出したヤッシーの音を吉田仁郎さんがPCから鳴らしてくれた。どんなにホッとしたことか。脳内補完をする作業から解放されると同時に、ああ、ヤッシー本当にいなくなっちゃったんだとまたさびしくなる。それでも思い出話に笑いは絶えない。アナログシンセと手弾きに拘り続けたこと、病状が進むなか「もう好きなことだけやるんだ」と煙草をやめなかったこと等、彼なりの頑固さを新たに知り、だからこそ誰にも真似出来ないあの音が鳴らせたのだなと改めて納得したりした。あと窪田さんが「パール兄弟はサエキくんとヤッシーがいれば成立するから」って伝えていたって話にも驚いたな。それを受けてバカボンが「なにぃ〜!」っていって笑いに変えてたけど、そんなこといってたのか。
そうそう、サエキさんの優しさにジーンと来たことがひとつ。PC操作で「画面上に音符を置いていく」演奏が増えて、もう手弾きの演奏なんて古いんですよみたいなことをいっていた、という話から「何いってんの、手弾きのプレイヤーが減ってってるからこそ貴重なんじゃない!」ってめっちゃ早口でいったの(笑)。これ本人に伝えたのかな、伝わっているといいな。
演奏はいつもすごいんだが、いつにも増して凄味に満ちていた。ブレイクやヒットがズバズバとキマる。ヤッシーのパートを埋めるべくアレンジを変えていることで緊張感があったのかもしれない。最前にLAから来たというカップルがいて(!?)、そうなるともうサエキさんがめっちゃ構って、何度も英語で話しかけたりサインボールあげたりしてて、「○。○○○娘」でジャクソンマイケル(本日苗字→名前で呼ぼうぜという流れになってた)の「スリラー」とスネークマンショーの「ジャパニーズ・ジェントルマン・スタンドアップ・プリーズ!」の引用になる流れは恒例だけどそのパートがすんごい長くて、めちゃめちゃ下ネタを英語で呼びかけて、あのふたりずっとニコニコご覧になってたけど大丈夫だったかしら…楽しんでくれてたらいいけど……とこっちが不安になる程だった(笑)。それにしてもバカボンの「ハーッハッハッハッハ」(「スリラー」のアレ)の完コピは素晴らしかった。何度もやらされてたけど。
新曲も2曲あり、同世代の友人に亡くなるひとが増えてきたことを描いた歌詞にしみじみとし、こういうの聴くとやっぱサエキさんすごいなとなり、バカボンのスティックも聴けたし(やっぱすげえ格好いいなー!)松永さんは演奏もツッコミもサエキさんの話聞いてないところも安定の通常運転で頼もしかったし、窪田さん(9/18)とバカボン(9/28)のお誕生日祝いもして、悼みとお祝いが同じ日にあることに混乱しつつ、久しぶりに集まって故人の思い出話に花を咲かせられたことに感謝する。こうしてみると、亡くなってすぐではこんな風に明るくヤッシーを送れなかっただろう。
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09月30日(土)
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