ID:43818
I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
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■『笑の大学』
生きることに笑いは必要ないというひとがいることは知っている。しかし、私は笑うことで何かを変えられるかもしれないという可能性に賭け続ける。喜劇作家・三谷幸喜の決意表明はずっと変わらない。その矜持を代弁するかのように、瀬戸康史は強い声と居ずまいで喜劇作家を演じる。比較的後方の席から観たのだが、彼の瞳に照明が反射し、キラリと光る瞬間があった。気のせいかもしれない。しかしそれ程瀬戸さんの目の力が強かった、と思うことは出来る。信じることが出来る想像力を、その想像力こそが生きる活力になるのだと、この舞台は伝えてくれる。
『国民の映画』との共通点、相違点を考える。国威発揚に利用される文化。集団の怖さ、権力の恐ろしさ、それでも流されなかったひと、そして命を落とすひと。『国民の映画』では登場人物たちのその後が語られるが、『笑の大学』ではそれがない。『国民〜』に登場した実在の人物たちとは違い、『笑〜』のふたりは歴史にその名が残っていない。しかし、検閲官にも劇作家にも、向坂睦男と椿一という名前がある。彼らはどこかの誰かなのだ。
彼らのその後が語られないことに希望を見たい。戦争が終わり、劇作家は生還する。検閲官は罪に問われるだろうが、それでもなんとか生き延びる。いつかふたりが再会し、共に喜劇を楽しむことがあれば……。そんな想像も可能なのだ。それがどんなに儚い願いだとしても。
いつかまた、この作品が上演されることがあったら。“新しい戦後”ではない“戦後”のまま、その気持ちをもって観ることが出来るだろうか。そうであってほしい。
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・HISTORY of “WARAI NO DAIGAKU”┃PARCO STAGE BLOG
こちらの画像にあるけれど、初演の鳥小屋は極めてオーソドックスなもの。今回の鳥小屋は折りたたみ出来るポータブル仕様、結構インパクトあった。格好いい(笑)。
先述の「劇作家は年齢が重要なキー」、思えば他の国ではどういう風に扱われているのだろう。特に韓国は時代が時代なだけにどちらの軍にとられる設定になっているのか……自国にしても日本にしてもつらい
02月18日(土)
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