ID:43818
I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
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■飴屋法水 × 山川冬樹 × くるみ『キス』
ずぶ濡れで水から上がってきた飴屋さんと山川さん(山川さんに至ってはピーター・マーフィーよろしく逆さ吊りで登場だ)、ずっと陸にいるくるみさんの対話が始まる。海からやってきたウイルス、そのウイルスにより亡くなったひとの数(進行形)、東京の河川が地下に埋められていく歴史、会場の立地と海抜。魚類から哺乳類への進化。ファーストキスの思い出。「今、ここ」を、居合わせたひとたちと分かち合う。
海から陸へと上がった生物は人間になり、やがて呼吸するようになる。空気を吸う、吐く。空気は有限で、いつかはなくなるとして、ではそのとき人間はどうなる? 魚から進化した人間は、水から上がる必要があったのだろうか。猿は人間に進化しなくてよかったのでは? 人間はこの地球上に必要な種なのだろうか……。しかし、人間は想像することが出来る。「大きな客船」というモチーフが登場すれば、ダイヤモンドプリンセス、セウォル、タイタニックと瞬時に複数の悲劇を思い起こすことが出来る。多くのひとが亡くなった、という共通項から起こる感情は、恐怖か、教訓か、悼みか、怒りか。噂が大好き、争うことが大好きな人間が、少なくなっていく空気をどう分け合っていくのか。想像から「次」へ行けるかもしれない。その可能性を感じさせるのはくるみさんの存在だ。
くるみさんの佇まい、声の力が素晴らしかった。ひとつひとつの姿勢がとても綺麗。起こっていることをまっすぐ見る。低めの声でボソリと喋る、その声が広い空間に通る。池田野歩さん(『4.48サイコシス』にも参加していたそうだ)によるマイキング=音響も見事だった。
世界で日々ひとは生まれ死んでいるが、ウイルスの猛威は激しく速い。100年前のインフルエンザ禍では欧州人口の1/3が失われた。今回のコロナ禍でどれだけの死者が出たか、また今後もどれだけ増えていくか。毎日ニュースで発表されている「本日の死者数」に、数字以上の何を感じとっているか、いないか。死に対する感覚が麻痺していたことをまざまざと思いしらされる。死者を悼む気持ちを届ける場所は、方法は。あらゆる国で何人死んだか、「私は知らない」というリフレインは祈りか、「おまじない」か。
そして、生きるために自分の身体が何をするかを、飴屋さんと山川さんは見せることにした。ひとつのエアダクトホースで繋がれたガスマスクを被ったふたりは、ホースで綱引きを始める。綱引きというと牧歌的だが、実際目の前で繰り広げられる行為は殴り合いのように激しい。倒れ込んだふたりはマスクを外しキスをする。激烈な、噛みつき合うようなキス。絡み合ったふたりは床を転げまわる。空気の分け合いと奪い合い。命の分け合いと奪い合い。
やがて「ふたりはあちこちにあるマンホールを蓋で閉じ乍ら移動している」ことに気づいて感嘆のため息が漏れる。よくそんな段取り守れるな、と思える程の格闘なのだ。手探りであの鉄製の蓋を引きずっている。場合によっては指を潰しかねない。自分の席の近くにもマンホールがあり、当然ふたりは床を這い乍らこちらにやってくる。その間にもキスは続く。見守り乍ら、ごくごく自然に死なないでくれ、生きてくれ、と祈る。
たまたまだが、直前迄この本を読んでいた。文中のあるくだりを思い出す。「最初、乗客たちはさすがに悲鳴をあげて酸素マスクを奪い合った。やがて機内は沈着さをとり戻して、乗客同士の助け合い、励まし合いが始まった」。種の保存のためでなく、本能でもなく、ひとはそういうことが出来る。ベタないい方をすればそれは愛情じゃないのか。
最後のマンホールへ。ふたりは沈んでいく。隠された水から現れ、隠された水へと還ったふたりは、人類という器に留まるのか、あるいは魚類へと戻ろうとしているのか。彼らが消えた穴をスペースの奥から見下ろしていたくるみさんがすっと退場する。鮮烈な美しさとあっけなさを残した去り際だった。水に還る古い(失礼)身体を尻目に、その先へ進む若い身体。有限の空気を吸ってこれから生きていく身体だ。
静まりかえった場内に、終演のアナウンスが響く。目に、耳に多くの死者が灼きつけられた思いだった。出演者は、皆黒い服を着ていた。あれは喪服だったのだろうか。
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04月17日(土)
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