ID:43818
I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
[648253hit]
■『聖地X』『国際市場で逢いましょう』
当時張ったけどまた張る。つくづくこのタッグ企画したひと慧眼よな…観られてホントよかった……と、この日の観劇後話していたのでした。前川作品を他の演出家が手掛ける難しさ、映像にする難しさ、と言う話題から。見えないものが見える、対象物が増える、と言うのは映像では簡単に出来る技術だけど、果たしてそれは実際に「見える」のだろうか?
****************
『国際市場で逢いましょう』@シネマート新宿 スクリーン1
ファン・ジョンミン出演作。原題は『국제시장(国際市場)』、英題は『Ode to My Father』。昨年十二月に本国で公開され、あれよあれよと動員記録が塗り替えられていくさまをリアルタイムで見ていてヒェーッとなっていました。それから約半年で観られるとは…韓国映画の日本公開、大概一年後とかだったりしますので。東方神起(ユンホのスクリーンデビュー作だそう)効果でしょうか? 宣伝展開もとてもしっかりされていたなー。新大久保には期間限定でコンセプトショップも開店しています。配給さんに感謝。
韓国現代史をひとりの平凡な男の視点から辿る。主人公ドクスは朝鮮戦争で父と妹と離れ離れになる。西ドイツへ出稼ぎに行き、ベトナム戦争に技術者として出征する。長男である彼は、家長としてひたすら家族に尽くす。文字通り身を削って。
ちょっとしたことに頑なになり腹を立てる、現在の年老いた主人公。何故そんな些細なことに拘るのか? 観客が不思議に思うタイミングで、ストーリーは過去へと遡る。「歌手でいちばん」なのはナム・ジン、叔母から受け継いだ店と土地は絶対に手放さない、その理由。壮大? 確かにそうだが、これらはこの国、その時代に生きた人々に、満遍なく降りかかったことばかりだ。主人公が体験したことは、この国では「平凡」になってしまう。時代は過ぎ、語られなくなった歴史は忘れられていく。映画は、語られなくなりつつあるこれらの出来事を、誠実にひとつの記録として残す。沢山の涙と、沢山の笑いとともに。
そしてこの国における家長、長男の責任の重さたるや。父が帰ってくる場所を守り続けた主人公の生涯は美談にも出来る。しかしそれでよかったのだろうか? 映画を観ている間、頭の隅からこの思いが離れなかった。主人公の最後の台詞にひとつの答えがあった。安堵、恐怖、さまざまな感情が湧き上がる。彼のなかで父親は生き続けている。「父との約束」は呪いの言葉でもあったのだ。団欒の場から離れ、隣室でひとり涙を流す「平凡」な男。妻に泣くならふたりで、と言っていたのに、自分はひとりで泣いている男。いつでも「大丈夫だ」と言い、家族に見返りなど求めず、老年を沈黙で過ごす男。このシーンは、家族と言う枠組みについて苦い味を残す。
主人公は最後の台詞により、父系の呪いから自分と家族を解放したとも言える。彼は「特別」な男だった。そんな偉大な男たちが、この国には沢山いるのだろう。そして映画は、彼らに感謝の思いを贈る。副題とも言える英題(秀逸!)にそれが表されている。
同じような記憶は自分たちの国にもある。これらは繋がっていて、今も続いている。離散家族を探すテレビ番組は中国残留孤児の報道を見ていたときの気持ちを甦らせる(若い子は知らないよねもはや……)。傷痍軍人の姿や、炭鉱事故のニュースも幼い記憶に残っている。「チョコレートギブミー」も戦後の日本人の知識としてある。「技師なので危険はない、戦闘に参加する訳ではない」なんて、最近どっかで聞いたばかりの話だよね〜。そして『追憶のアリラン』ではソ連って国はよお…と思い、この作品ではアメリカって国はよお……と思ったのだった。
自分に寄せて話をすると、ウチの父は長男で、台湾からの引き揚げ組で、お父さんが早くに亡くなり、弟妹を育てるためにいろんなことを諦めたひとだ。やはりダブらせて観てしまうところはあった。数年前その頃の話を突っ込んで聞く機会があった。聞くことが出来てよかった。父は伴侶(まあ私の母ですな)も早くに亡くし、ここ迄自分を育ててくれて、育ったら放っておいてくれた。家族と言うものに縛りつけなかった。感謝してもしきれない。
[5]続きを読む
05月17日(日)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る