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西方見聞録
by マルコ
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■いい夢ばっかりじゃないけど悪い夢ばっかりでもないAストリートチルドレンのこと
 マルコはアフリカ時代内務省の人口局の公務員さんをしていた。同じ内務省管轄に子ども局(日本で言うと児童相談所?)があったので県の子ども局局長のオフィサーと一緒に仕事をしたことがある。オフィサーは女性で恰幅のいいケニアママでした。
 ママの話だとストリートチルドレンは当時私の暮らしていたケニア第8の都市メルーに87人だったかな、とにかく100人にはならないくらいの数で存在していた。全員識別番号をつけているんだって。ママは車の中から「あ!57番がまた町に出てる!」とかって個体認識をしていた。農村から家を逃げ出してくる子も居る。エイズ孤児も当時からすでに居た。アドベンチャーを求めて普通の家からやってくる子どももいる。孤児院があり、ストリートチルドレンは一応孤児院に収容されることも可能。でもなんか町の暮らしがいいらしくてよく脱走してストリートに戻ってきちゃうんだって。そんでどの子が今、町にいるか子ども局の職員は一応把握してるんだって。
 町にはストリートチルドレン向けのシェルターが1軒あった。寒いときや居場所がないとき逃げ込んでこれる場所だ。マルコはそのストリートチルドレンむけのシェルターでエイズの啓発番組のビデオなんかを上映させてもらってた。そこでは自由参加で簡単な読み書き算数の教育も行われていた。10歳くらいの男の子ですごい色気のある子が居た。売春してるのかな?と思った。

 町のストリートチルドレンをやってた子がある日紳士とともにパリっとした服を着て帰ってきた。お父さんなんだって。アドベンチャーをもとめてストリートに居たけど心を入れ替えて家に帰ることにしたんだって。ふーむ。そういうこともあるのか。
 ダーウィンの悪夢でもストリートチルドレンたちがシンナーを吸う場面が出てきたけどメルーのストリートチルドレンたちも時々シンナーを吸ってた。彼らはそれを「ぐるー」(糊?)とよんで缶に入れてスーハーしてた。なんかおなかすいてるのを忘れられてハッピーになれるんだって。なんかすごーく成長に悪い感じがした。
 子ども局がカーウォッシュプログラムというのをやってた。ストリートの子どもたちに洗車道具を貸して1台5シリング(10円?)で洗って小銭を稼意でもらって自活してもらうんだそうだ。すごくうれしそうに子どもが車を洗ってるのを時々見た。子どもたちは少し大きくなると新聞を売ったり、長距離バス乗り場でバナナを売ったりはじめる。もっと大きくなると「マカンガ」と呼ばれる農村の作物の買い付けをして街に運ぶ人になったり、アスカリ(夜警)として警備会社に就職するものも居た。マルコも警備会社と契約して夜警を雇っていたけど、あんた先月までストリートチルドレンやってたでしょ?って感じのアスカリが時々いた。そんなわけで小さい魚は小さい魚なりに生態系の中で暮らしていました。ムアンザにも子ども局やそれ関係の部署はあると思うんだけど、一切映ってなかったね。ナイルパーチ景気で税収が潤ってその辺のインフラが整備されてるといいんだけどね。メルーはミラの産地で豊かだったのでその辺の社会サービスはかなり整ってました。老舗NGOプランインターナショナル(フォスタープランのことね)さんが大きいプロジェクトを山のほうで展開してたしね。

 つけたり。孤児院のこと。マルコがいた町には公立孤児院しかなかったけど、ストリートチルドレンがわんさかいるナイロビにはあっちこっちのNGOや国際機関が建てた孤児院があった。マルコは日本のNGO が建てたナイロビ近郊の孤児院に着任時の訓練の一環で2泊3日でホームステイしたことがある。公立孤児院に比べると格段に環境はいいらしい。でも北欧の機関の建てた孤児院はココの何倍もいいとスタッフの久保田さんが言ってた。「でも卒院後、社会で適応できないくらい良いんですよ。それもどうかと思いますよね」とスタッフの久保田さん。夜は2段ベットで女の子たちと一緒に寝た。夜いつまでも質問されるのでもう寝ようよとスワヒリ語で言ったら文法を間違えたとかでその後1時間くらい笑われた。明るい子が多かった。でも女の子はすっげえ強い子が多かった。日曜には親が会いに来る子もたくさん居た。会いに来ない子は突然寂しそうな顔をしていた。


02月27日(火)
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