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武ニュースDiary
by あさかぜ
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■金城武の子ども時代(「PUSH偶像」より)A
続きです。


活発で、人に好かれる

お父さんはよく休暇を利用しては、
一家を南部屏東にあるウナギの養殖場に遊びに連れていった。
武はウナギを見るのが好きだったし、池のほとりや田んぼの畔で小エビを捕まえたり、
魚を眺めたり……また楽しからずやである。
自然が好きな武は、小さい頃から丈夫で病気が少なかった。
今もめったに病気はせず、丈夫だそうである。
肉が好きで魚は嫌い、ただ寿司は大好きだ。
武の良い体格は、刺身と深い関係があるのではなかろうか……。

日本人学校に入学後は、学業面でのプレッシャーはなく、宿題もなかった。
せいぜい家で日記を書いてくることぐらいだ。
成績はごく普通だったという印象を、お母さんは持っている。
その代わり課外活動にはよく参加していたという。
学校の水泳代表チームに入り、他の日本人学校としょっちゅう対抗試合をしていた。
また、バスケットボールも上手だったが、活発でじっとしていない武は、
剣道のクラブにも入り、勇ましい剣道着一式を持っていた。
しかし、新しもの好きで、何事にも熱意が長続きしないため、
あれを習い、これを習いしては、3カ月、あるいは1年で熱が醒めてしまう。
これが彼の特徴の1つなのだ。

可愛い金城武は、学校の運動会ではいつもリーダーを務めた。
日本人学校の運動会にはオープニングの踊りがある。
武は1年生から9年生(中学3年)までずっと、
壇に上がり、法被を着て鉢巻を巻き、短パン姿でみんなを指揮した。

台湾語が話せたことで、武は日本人学校の先生たちのお気に入りになった。
台湾語ができ、かつ、台北の美味しい店や面白い場所をよく知っていたからである。
それで、武はたびたび先生方を食堂に案内してあげたし、
どこが面白いか、労苦をいとわず先生や同級生に教えてあげた。

もともと、気が小さく背も低かった武は、決して1人きりで家にいようとはしなかった。
恥ずかしがり屋で気が弱く、いじめられることがよくあったが、
自尊心の強い子だったので、泣いて帰って家の人に訴えるようなことはめったになかった。
思春期になり、背が急に伸びて、性格もだんだん強くなると、
誰も彼を面白半分にいじめるようなことはできなくなった。

学校ではこのように活発だったが、相変わらず両親の言うことをよく聞くおとなしい子で、
土日に同級生と遊びに行く以外は、ほとんどの時間を家で漫画を読んだり、
ゲームをしたり、“卵を孵し”たりして過ごした。
卵を孵す? 
つまり、武は一時期、小鳥を飼うのに熱中し、
興味津々で様々な小鳥を買ってきたのである。
果ては卵を買い、引き出しに入れて、電灯で温め、一生懸命孵そうとした。
注射器を使って小鳥に餌をやったりもした。

特にお気に入りだったのは太陽鳥で、暇さえあればこの鳥に言葉を教え、
一日中ひそひそ囀りながら楽しんでいた。
ところが、冬に気温が下がり、小鳥が寒がるのではないかと心配になった武は、
寝る前、眠気でぼうっとしながら綿を小鳥にかけてやった。
翌朝、なんと小鳥は死んでいた――かわいそうに、窒息したのである。
武は身も世もなく泣き、一日中打ちしおれ、ふさいでいた。

中学時代。後列右から2番目

自由だった学校生活

日本人学校の9年間を終えると、日本に行って進学するかどうか悩むことになる。
幸い住まいが天母だったので、アメリカンスクールに進学するという選択肢もあった。
しかし、自由で開放的な校風を、武の両親は心配した。
このよい子が、アメリカンスクールで悪いことを覚えてしまうのではないか。
そこで、初めに3つのことを約束させた。
1 大麻やタバコは吸わない、2 男女の関係にならない、
3 喧嘩はしない……夜12時前には必ず帰宅すること……

武は後にタバコを覚えたが、内心では気が咎めていた。
彼はこう説明している。
「学校の休みを利用して、友達とレストランでアルバイトをしたんですが、
支配人が本当にきつい人で、ぼくらにわざと面倒をしかけてくるんですよ。

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12月17日(月)
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