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武ニュースDiary
by あさかぜ
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■金城武の子ども時代(「PUSH偶像」より)@
先日ちょっとお話しした、台湾のアイドル雑誌「PUSH偶像」に掲載された、
金城武の子ども時代の話です。
お母さんが取材に答えて語った子ども時代の逸話を元に構成されています。
1993年発行だと思います(月号はわかりません)。
長いので、3回に分けて(ゆっくりゆっくり)。
無邪気でおかしな子ども時代
子ども時代の話を公開したことのない金城武が、
今回本誌「PUSH」のリクエストにこたえ、
特別に当時の可愛らしい写真を提供してくれた。
武は幼い頃から純真そのもの。
武のお母さんが、末っ子タケシのしでかした様々なことを話してくれたが、
言葉のはしはしには母子の深い絆が感じられた。
今回、愛読者のみなさんのために、武の今日までの歩みを独占取材でお送りしよう!
泣き虫でいつもお母さにつきまとっている――
これが子ども時代の金城武だ。
兄が2人おり、8歳年上と2歳年上である。
末っ子の武は、生まれたときは丸々太った赤ちゃんだったが、
気が弱く、泣き虫だった。
今の男らしい堂々としたイメージは皆無だったのだ。
お父さんは商売で台湾にウナギの買い付けに来て、
美しいお母さんと知り合い、結婚したが、
お母さんが日本の生活に慣れなかったので、台北に新居を構えた。
しかし、お父さんは仕事の関係でしょっちゅう台北と日本を行き来しており、
ときには台北に2カ月、日本に2カ月、という具合なので、
子育ての責任はみなお母さんにかかってきた。
幸い、お手伝いさんがいたので、いたずらっこ子たちを育てるのに
1人でてんてこまいする羽目にはならずにすんだ。
おぼつかない中国語と日本語で、笑い話が絶えず
台湾語を話したり日本語を話したりと、言葉の面での当惑は当初からだった。
その上、小さな子どもの話すことだから、武は隣近所の人をよく面白がらせていた。
家は天母にあり、小さい頃から天母三玉にある寺に行って遊んでいた。
特に草はらで遊ぶのが大好きだった。
ある日、お母さんが階下の雑貨店で、近所の人たちとおしゃべりをしていると、
武が得意気に走ってきて言った。
「おかあさん、おかあさん、と"に"がみさま、たくさんつかまえちゃった!」
雑貨店主が「え、息子さん、土地神様をたくさん持ってきてしまったの!?」と驚いたが、
武が握っていた“戦利品”を見て、はっと気づいた。
武が持っていたのはバッタだった。
台湾語のバッタ(草眠公)が言えずに、土地神様(土地公)になってしまったのである。
「ハーフの子のおしゃべりは本当に面白いよ」と、
人々はしょっちゅう武の言うことにおかしがり、武をからかった。
いたずら者で、驚かされることばかり
やんちゃはやんちゃであったが、お母さんは敬虔な仏教徒で、
よくお寺に参拝に行っていたので、武も必ずついていった。
時には参詣団に交じり、
観光バスで中南部まで1泊2日で出かけることもあったが、
これにも武は決まってついていった。
このように幼い頃からお母さんについてあちこちお参りに行っていたので、
武も自然、仏様の加護やお告げを信じるようになっていた。
またもやお母さんと一緒に観光バスで南部に参詣に行ったある日のこと。
車内でお母さんが目を離したすきに、このいたずら者は、
なんと哪吒三太子(なたさんたいし)の像の手から輪を抜いてきて、
自分の指にはめていた。
すると不思議なことが起こった。
それまでバスでは、大人たちが武に歌を歌わせ、
武は必ず大きな声でテレビのCMソングを歌っては、あちこち動き回った。
ところが三太子の輪を指にはめてからは、まるで仏様が乗り移ったかのように、
歌も歌わず、じっと席に座っていたばかりでなく、何か唱えているではないか。
その変わりように、みな大変驚いた。
武のしでかした事件はまことに多い。
幼稚園の年長組の頃、武はクリスマスイブに、
園からきれいなサンタクロースの絵の描いてあるコップを持ち帰り、
コインをコップに入れて、ソファで飛び跳ねていた。
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12月16日(日)
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