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武ニュースDiary
by あさかぜ
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■3人のピーター・チャン(捜狐娯楽)
5月16日の「金城武インタビュー2」の元記事の、監督インタビューの部分です。
金城さんの疑問に対する答えの一端が出ています。

2007年の「投名状」から2011年の「武侠」までの4年間、
ピーター・チャン自身が監督した映画はこの2本だけである。
この期間に、彼は会社を設立し、プロデューサーを務めて、「十月囲城」をヒットさせ、
また「神奇侠侶」のような純香港風コメディを製作した。

率直に言えば、あの、文芸ラベルを貼られて久しいピーター・チャンだが、
その内側は一貫して正真正銘の商売人である。
例えば、今は武侠アクション映画がホットであることを知っているので、
「ラブソング」や「君さえいれば」のような映画をもう一度撮ることは決してしないだろう。
ただし、この実業家は、自身の創作における最低ラインを自由にコントロールする術を知っているので、
商業映画の中に、父子の愛や婚外恋愛やゆっくりと育つ愛など、
自分が討論したい文芸的なテーマを必ず入れ込んでくる。
「もし、プロデューサーのピーター・チャンがいなかったら、監督のピーター・チャンもいない」

「投名状」は「刺馬」のリメイクであり、「武侠」でのドニー・イェンの片腕♂焔Zもまた、
「片腕ドラゴン(新独臂刀)」への敬意である。
本当の武侠ファンではないと公言するピーター・チャンが、
ショウ・ブラザーズの武侠映画に夢中になる理由は、
ただ1人のためだ。チャン・チェ監督である。

「ショウ・ブラザーズはせんじつめれば、チャン・チェ監督だ。
チャン・チェ監督がもっとも優れているのは、つまるところストーリーではなく、
男優を撮るのがうまいことだ。
彼はジミー・ウォング、デビッド・チャン、ティ・ロンを、最高に魅力的に撮った。
私が惹かれるのは武侠映画ではなく、英雄たちに魅了されるからなんだよ」

しばらくの間は、ピーター・チャンの映画に出て主演女優賞を獲ることをあてにしても、
その期待は無駄になると言えるだろう。
彼は、ドニー・イェンやジェット・リーや金城武といった
男たちの心の世界を描くことの方に没頭しているのだ。
こう考えると、ハーヴェイ・ワインスタインが言う、
「グリーン・デスティニー」を超えるか超えないかということは、初めから問題ではないのである。

――「投名状」から4年経って、再びメガホンをとった作品は、またもや時代劇大作でした。
なぜ、今度もこの題材を選んだのですか?

ピーター それは、マーケットの要請ですね。
以前は大作映画を撮ろうと考えたことないなかったのに、
結果的にどんどん大作になって行きました。
「投名状」と「十月囲城」(プロデュース担当)での調整を経て、
プレッシャーは前より小さくなっています。
少なくとも、お金の問題に心を砕くことはありません。

――ハーヴェイ・ワインスタインは、「武侠」は「グリーン・デスティニー」後、
最も新しさを持った武侠映画だと言っていますが、
どこが一番新しいところだと考えていますか?

ピーター 医学的な面が「武侠」の最大のスタート地点であることは否定できません。
「グリーン・デスティニー」はもはや中国武侠映画の極致に達していて、
「武侠」はそれと比較になりません。
そっくりなものをまた撮っても、面白くない。
私とドニーはショウ・ブラザーズ映画のファンなので、
一緒に話すと完全に過去を懐かしむ感覚になって、
あの頃、ジミー・ウォングやデビッド・チャンに夢中になっていた記憶がどっと蘇ってくるんです。
「武侠」は最も伝統的なものへの回帰であり、それに医学的角度を加えている、
この2点において、「グリーン・デスティニー」とは全く異なっています。

――プロデューサーのピーター・チャンと監督のピーター・チャン、
それに商売人としてのピーター・チャン、どれが本来のあなたですか?

ピーター 分けることは不可能です。いくら監督のピーター・チャンが自身の風格を持っていても、
プロデューサーのピーター・チャンがいなければ、「武侠」のような映画はできない。

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05月23日(月)
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