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武ニュースDiary
by あさかぜ
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■GQ取材記B
マネジャー

EVA(ヤオさんです)がお湯のカップを持ってこちらにやってくる。
ついさっきまで、化粧室で金城武のメイクが終わるまでずっとついていたのだ。
彼女は背が高く、すらりとして色白、しとやかな笑顔の人だ。

EVAが初めて金城武と会ったとき、彼は16、彼女は24。
2本の若やかな苗のごとくであった。
彼女はフーロン事務所に在籍し、その身分は「人に不思議がられるマネジャー」だった。
「当時、台湾には、マネジャーという職業はほとんどなかったのです。
直接芸能人に連絡をするか、あるいはレコード会社に話をし、
レコード会社が自分のところの歌手に連絡するというやり方でした。
マネジャーなんて面倒くさいだと思われていたのです」

「うちのボスは非常に目が利く人で、テレビで金城武が出演したCMを見て、
そのちょっとした動きだけで、この子は非常に特別な雰囲気を持っていていい、と考え、
彼と契約することにしたのです。
もちろん、当時の彼は、まだ“見た目”だけでしたが」

「彼とこんなに長いこと一緒に仕事をしてこられたのは、
多分、どちらもお金のことを考えないからだと思います」とEVAは言う。
いまだに未婚の彼女は、依然として今は36歳の金城武のマネジャーだ――
「とても運がよかったと思っています。一番くじに当たったようなものです」
だが、見たところは、彼女は温かく見守る後見人というほうが近い。

「この業界にいれば、きっと何度も誘惑があったに違いありません。
でも、彼は賢い人で、はっきりした考えを持っており、それに惑わされませんでした。
彼は金に目のくらむような人間では全然ないのです。
情義をわきまえ、善良で、恩を忘れません。
私たちと仕事を始めたときから、功利的なところがありません。
ときどき、変わらず子どものようだと感じることがあります」

「フーロンに入ったばかりのときは、全然中国語が読めなかったので、
会社は彼に新聞を読ませ、彼は自力で勉強しました。
今でも、この人は本当に面白いなと思います。
習ったことのないことにぶつかると、いつも一生懸命勉強するんです」

以前、フーロンが、日本でCMの撮影をする金城武の顔に
巨額の保険をかけたことについて聞くと、EVAは高ぶった様子で答えた。
「もちろんかけますよ、あんな危険なこと!
あのときは高温のライトの横で撮影したんですよ。顔すれすれに近づけて。
万一破裂したらどうするんです?!」

友人

フーロンと契約後、金城武は音楽プロデューサーのもとに送られて、
「育ててもらう」ことになった。
「ゼロから音楽を教え、楽器を教え、生活や仕事をともにする中で歌の作り方を教えたんだ」
90年代初めの台湾では、ミュージシャンへの要求は、理論はもちろん実践上も、
今と比べて明らかに厳しいものだった。
「楽譜が書けることは、クリエイターとしての最も基本的な必須条件だったから、
まず音楽の基礎理論から勉強を始めたんだよ」

「彼は覚えが大変よくて、すごく才能に恵まれていた。
ギターが弾けたし、ピアノも弾け、それを使って自分自身の創作をした」
この初めの頃に金城武を育てたミュージシャンの黄連は語る。
金城武は陳昇と黄に助けられ、自ら作詞作曲をして、第1アルバム「分手的夜里」を完成させた。
「まだ成熟にはほど遠かったけれどね」

「すごく不自由になっちゃった。街で鼻をほじりたくなってもできやしない」
アルバムをリリースした後、金城武は黄連にそう言った。
彼はこの2人の先輩といつも一緒に行動するようにもなっていた。
「事務所は彼をぼくらのもとに放ったらかしにしたので、
彼はぼくらが行くところにどこでもついてきた。
ほかの歌手の録音にもついてきて、助手の仕事もした。
夜、仕事が終わると、一緒にナイトクラブに繰り出したもんだ」
「仲がいいからじゃないぞ、お前がかっこよくて、女たちがひかれて寄ってくるからさ、
一緒にいればいいことがあるってわけだ」
黄連は金城武をからかった。


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02月21日(日)
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