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武ニュースDiary
by あさかぜ
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■偶像物語 金城武A
黒松のCMが流れます。
ここからは、ずっと武の語りになります。


スター・ストーリー 金城武A

    
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武 芸能界に入った動機は、実はアメリカンスクールに行ってから、
CMに出る機会があったんです。
それは学校の生徒のお母さんが広告会社に勤めていて、
その会社で、あるとき1本のCMを撮ることになって、
ぼくらの学校に来て、出演する人間を探したんですよ。
何人か見つかって、その中にぼくもいました。それでCMに出ました。

このCMを撮った後すぐ、ぼくはアメリカに1か月行きました。
ゴルフを習いにね(笑)。ま、それはどうでもいいことなんですけど、
その後、台湾に帰ってすぐ、ある芸能事務所から電話があった。
それが今のこの事務所です。
ぼくと会って、芸能界で仕事することについて話したいと言われました。
映画に興味ないかと聞かれたり、歌を歌ったり、もっとCMに出るには、
事務所に入った方が仕事が来るよと言われたり。

それで会いに行きました。芸能界を知らなかったから、どんななんだろうと、
実はすごく好奇心が湧いたんです。
テレビではもちろん見たことがあるけど、でも昔は全然興味がなかった。
歌を歌うとかはね。すごく恥ずかしがりだったから。
その頃やっと、カラオケで友達の前で歌えるようになったのを覚えています。
本当に恥ずかしがりだったから。

で、わかりました、と会いに行きました。お母さんも一緒でした。
そのときは、まず歌から始めるのかどうかはわかりませんでした。
歌のテストをして、それからカメラテストも少ししましたね。
で、どうやら合格したようで(笑)、契約しました。

ぼくは、CDを出す前に、実は連続ドラマに1本出ているんです。8時台のです。
ぼくの役は郎さん――郎雄(ラン・シャン)の息子役でした。
他の人はあまりよく覚えていません。
その後、CDを出したんです。この(と手に取る)「分手的夜裡」です。

このCDはぼくにとって、とても大きな意味があります。
それはこのCDのプロデューサーが陳昇(ボビー・チェン)だからです。
陳昇はぼくにとって大変重要な人でもあります。
なぜか? さっき言ったように、芸能界に入った動機は、
もっとCMに出られれば、お小遣いがもっと手に入るってだけだったんです。
ところが、このCDを録音する前、これには1年をかけていて、
ずっと陳昇のところにいました。(「夏天的代誌」のMV流れる)

陳昇はぼくにとってはとても大事な人で、
それは今言ったみたいにぼくは芸能界に、ただお小遣い稼ぎに入ったんですが、
陳昇に出会って、彼はお小遣いを、音楽についての小遣いをくれたんです。
多分創作、自分で歌を作るということの。それで創作をしてみたいと思うようになりました。
このアルバムで、ぼくは2曲歌を書いています。
1曲は陳昇と阿とコーラスしています。「好朋友(親友)」というタイトルの歌です。
この「好朋友」にはちょっとした話があるんです。

というのは、ぼくは曲を書いて彼に渡し、そのまま香港に、
あるプロモーションの準備のために行ったんです。
香港から帰ってきたら、彼がこう言いました。
「あの歌は、もう編曲済んだよ。歌詞ももうできてる」
歌を歌う日、録音室に入ってから、その歌詞を見せてくれました。
ぼくたちは録音室の、彼はあちら、ぼくはこっちにいて、歌詞を見せてくれたんです。
ぱっと見て、ぼくはすぐ言いました。というのは、ぼくが書いたのは恋愛の歌だったんですよ。
素敵な恋の歌を作りたかった(笑)。恋愛の歌詞を書いて彼に渡していたんです。

ところが、全部書き換えられていた。
そしてみんなでコーラスする「好朋友」の歌になってしまっていました。
ぼくは読んですごく腹が立ちました。で、言いました。
「昇哥、どうしてこの歌をこんなふうに変えちゃったんですか?」
彼はこう言いました。
「みんなでコーラスをしたかっただけだ。おれたちはいい友達(好朋友)だろう?

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09月27日(日)
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