ID:23473
武ニュースDiary
by あさかぜ
[6278357hit]

■台湾四小天王ストーリーB
また続きです。

台湾啓示録
台湾四小天王成功の歴史B

   

洪培翔(進行) 続きを始めましょう。
台湾四小天王の出現は、追っかけブームを巻き起こしました。
なかには一目アイドルの姿を見るために、
なんと車をチャーターしてどこまでも追いかけるファンまでいたのです。
そのやり方はかなり常軌を逸していて、スタッフはいつも冷や汗を流していました。

その頃、アイドルスターを1人売り出すのに、レコード会社は大枚をかけていたそうです、
例えば金城武の場合、彼一人のための宣伝費用は
少なくとも1000万元を下回らなかったということです。

(小虎隊のステージの映像)
ナレーション その頃の四小天王は、コンサート、あるいはサイン会を開きさえすれば
必ずファンの男女が押し寄せました。
金城武がまだ日本に進出する以前、既にジミー・リンは韓国で人気者になっていました。
(大歓声、ジミーのMV、映画の中のジミー)

荘明渋 当時、誰が一番人気があったかというと、ジミー・リンでしょうね。
ジミー・リンは「微笑みのプリンス」という呼び名を持っていました。
その後、韓国に進出しました。
我々が別のタレントを連れて韓国に行くことがありましたが、
ソウルの街角には必ずジミー・リンのどでかいポスターが見られたものです。
ですから、当時わが台湾の帥哥で最も早く海外輸出されたのはおそらく彼でしょう。

(テレビ番組のニッキー・ウーとジミー・リン)
司会者 大丈夫、緊張しないで。あわてないでしゃべればいいんだよ。
2人は若いから、司会経験が少ないんで、何度か練習しさえすれば大丈夫。
がんばって。(観客拍手)
ジミー 今日はとてもうれしく思います。
ニッキー 張清芳さんのコンサートに出席できてとてもうれしいです。
ジミー その通りです。
(2人でかぶって) では今度は……次は……(笑)
司会者 次は何ですか? 司会者はびくびくしなくていいんだよ、協力して。
もう1人の司会者(胡哥ですね) 言葉に抑揚をつけて、切れ目で起伏をつけて。
司会者 それと、一度始まったら、例えば誰かがしゃべらなくちゃならないなら、
誰がしゃべってもいいんだよ。2人で漫才みたいに「今日はムニャムニャ……」なんてやってないで、
「いいお天気ですね」とか言えばいい。
胡哥 そうそう、いいお天気ですね〜と言って礼をして下がる。
激励の拍手を!(観客拍手)

荘明渋 あの頃の時代背景から、天王はどちらかというと作られた、というのが本当ですね。
というのは、当時は何と言うか、台湾には自前の生え抜きのアイドルがいなかったからです。
だから、その状況下で、つまりテレビ番組によってアイドルを作るのが一番早かったわけです。

(テレビ番組の続き)
ジミー みなさん、今日は張清芳さんのコンサートに来てくださって、とてもうれしく思います。
では、続いてご紹介するのは……
ニッキ― 最も実力派で……
ジミー そうです。
ニッキ― 本格派女性歌手です。
ジミー しばしお待ちを……
胡哥 司会者は大コンサートでは絶対自信を持たなくちゃ。
君たち2人はまだびくついてないか?

(映画で天秤を持つジミー)

長宏影視責任者 呉敦
あの頃、ジミー・リンは我々の会社のメイン俳優でした。
契約がまだ続いていたとき、彼はテレビドラマに出演したいと言ってきました。
当時は映画業界がどん底で、会社でも映画を撮っていなかったんですよ。
それで彼はまだ契約があったので、テレビドラマをやると。
私は言いました。
「よし、ドラマをやりたまえ。小魚児の役をやるなら、契約を解除して自由にしてあげるよ」とね。
後に彼は小魚児役をかちとったので、最初のドラマで大好きな役をやることになったわけです。
あの脚本は受けると、私はわかっていましたからね。
「絶大双驕」への出演で小魚児役をかちとった。はたして成功しましたよ。

荘明渋 ジミー・リンの売り物は、微笑みの天使そのもののその顔でした。
誰にもとても好かれました。

[5]続きを読む

07月12日(日)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る