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武ニュースDiary
by あさかぜ
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■台湾四小天王ストーリーA
昨日の続きです。
台湾啓示録
台湾四小天王成功の歴史A
(「危険な天使たち」バーでのシーン)
ナレーション
さて、ニッキー・ウーですが、彼は露店で働いて学費を稼いでいました。
それがなんと人気歌手になったのです。
見出したのは歌手の童安格(アンガス・トン)でした。
(若い頃の写真、「危険な天使たち」の映像)
厳家正 最初は歌手の童安格(アンガス・トン)が、「この子はハンサムだ」と気がついたんです。
ところが彼は女装で売っていたので、童安格が若い女の子を連れて通りかかると、
女の子はその女装姿を見て、
童安格は男なのに、どうしてちらちらそちらに目をやるのだろうと思うわけです。
この子は本当にカッコよかったのです。
それはちょっと特別な感じで、外国人みたくもありました。
ニッキー・ウーの顔立ちは非常に目立ってました。四人の中では一番目立つ顔でした。
そして金城武の容貌が一番シャープな感じです。
(「傷城」と「危険な天使たち」のシーン)
ナレーション ニッキー・ウーはもともと芸能界入りにはあまり関心を持っていませんでした。
当時、フーロン製作公司が彼の露店まで人をやって口説いたことがありましたが、
彼は決して承知しませんでした。
結局、今の事務所が頭を使い、母親を攻略したので、
ニッキー・ウーはやっと華視テレビのオーディション番組に出ることになったのです。
厳家正 芸能事務所がニッキー・ウーの電話番号を聞き出しましたが、
童安格はCDを出す計画などは多分何も持ってなかったと思います。
結局彼らに代わって開麗創意という事務所がニッキー・ウーを訪ね、彼を目にして、説得を始めました。
でもだめでした。
その頃、一般の人は携帯電話はまだ持たず、ポケベルしか持っていませんでした。
事務所が聞いたのはニッキーの家の電話で、そこで彼の母親に電話して話をしたのです。
話して話して、最後に彼を引っぱり出すことになりました。
この4人の中では彼が一番やんちゃなんですが、
見た目は一番大人しく上品に見える。実は彼が一番やんちゃです。
その後、とんぼ返りができるようになったので、
彼のバク転が、小虎隊のデビュー当時、出番の最後に必ず登場したものです。
視聴者にはとても新鮮に映りましたね、歌ってとんぼ返りというのは。
スー・ヨウポン こんにちは、ス―・ヨウポンです。
一番年下だから、いい子の虎と呼んでね。
ナレーション スー・ヨウポンがスカウトされたのは、ニッキー・ウーよりもっと年少のときで、
ほんの十五、六歳でした。
このとき、彼は華視の「青春争覇戦」のオーディションに応募したのです。
何かの縁でめぐりあったニッキー・ウー、陳志朋と小虎隊を結成し、
スー・ヨウポンは頭角を現し始めました。
厳家正 スー・ヨウポンは建中の生徒でしたが後に台湾大学に入学しました。
台大に受かったのは小虎隊時代だったので、当時自分をいい子の虎と言ったのです。
私たちが彼を取材するときはいつも「おりこうさん」と呼んでいましたよ。
後に朱延平の映画の撮影中、私たちがいつも慣れていたように
「おりこうさん、最近どうだい」と言いましたら、
彼は「もうおりこうさんと呼ばないで、ぞっとするから」と言ったのです。
成長して、おりこうさんという呼び名が嫌になったんですね。
(「ピックアップ・アーティスト」の映像)
ベテラン音楽プロデューサー陳国華
ヨウポンは基本的に本当の模範生でした。
私の在任中……彼と仕事をしていた時期、いくら私に彼が遊び回っていただろうと言わせようとしても、
それは「ない」ですよ。
彼は友達とちょっと飲んだりと言うのが好きでしたが、いわゆるゴシップは、一度もありません・
いつも男連中とばかり一緒だったから、ゴシップが生まれるわけがないですよ。
(ジミー・リンの映画「侠盗正伝」の映像)
ナレーション ジミー・リンは四小天王のなかで、人気が一番急速に出た青春アイドルです。
ファーストアルバムはたちまち70万枚を突破しました。
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07月11日(土)
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