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武ニュースDiary
by あさかぜ
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■台湾四小天王ストーリー@
つい、こないだ、台湾のテレビ番組で四小天王のことを取り上げたものです。
昔の映像をはさみながら、主としてマスコミ記者の談話で構成しています。
マスコミ記者って、結構話に間違いがあるんですよね……。
以下にも明らかに不正確な話が出てくるので、他の部分も鵜呑みにはしないほうがよかろうと思います。
この訳で間違っていないのか「は?!」と思うような話も出てくるし。

でも、当時の状況や雰囲気、少なくとも金城武が身を置いてきた状況が
垣間見られるという意味では面白いと思いますので、
分割された映像ごとに字幕を翻訳してみようと思います。
これはYou Tubeにある映像ですが、金城武NET討論区で紹介してくれていたものです。
まずは映像。

   

台湾啓示録
台湾四小天王成功の歴史@

視聴者の皆さん、こんにちは。洪培翔です。
「台湾啓示録」へようこそ。
1990年代、香港にはいわゆる四大天王がいました。
アンディ・ラウ、アーロン・クウォック、レオン・ライ、それにジャッキー・チュンです。
では、台湾は?
当時、台湾では芸能界からこんな声が上がっていました。
台湾はずっと中国語歌謡界のトップブランドを自任している、
それなのにどうして自分自身のスター天王がいないのか?
そこで台湾四小天王が誕生したのです。
すなわち金城武、ジミー・リン、ニッキー・ウー、スー・ヨウポンです。
今日は、彼らの物語をお届けします。

(アンディ・ラウの舞台映像)
ベテランジャーナリスト厳家正
80年代の初め、四大天王が台湾ですさまじい人気を博しました。(ジャッキー、レオン、アーロンの映像)
同じ時期に台湾に彼らより若い歌手たちが登場します。(小虎隊の映像)

ベテランメディア関係者荘明渋
その頃いたのはニッキー・ウー、スー・ヨウポン、金城武、ジミー・リンの4人です。
この4人がいわゆる台湾の四小天王です。

ナレーション 1,993年、台湾の女の子に大人気だった小虎隊は、
メンバーの1人、陳志朋が兵役にいかなくてはならなくなったため、
解散し、ニッキー・ウーとスー・ヨウポンはソロ活動に入りました。
台湾の映画・ドラマに、金城武、ジミー・リンを加えた、いわゆる四小天王は出演し始めます。
この4人の若い帥哥は若者たちに追いかけられるアイドルとなったのです。

(小虎隊の映像)

荘明渋 ファンはニッキー・ウーを跳んだり踊ったり歌ったりできる
アーロン・クウォックになぞらえました。
スー・ヨウポンは、実は彼はあの頃のレオン・ライにちょっと似ているんです。
おりこうさんイメージでしたからね。

(テレビ番組の映像)
スー・ヨウポン 踊りはぶざまだから、笑わないでね。
司会者 とんでもない、一生懸命やればいいよ。どうぞ、頑張って!
(スーのダンス)
スー・ヨウポン ちょっと昔の小虎隊みたい。
司会者 実はこのダンスの一番のポイントはうんと練習しなくちゃいけないということだね。
小虎隊のときは、1曲やるのに何日ぐらい練習が必要だったの?
スー・ヨウポン すごく長くかかりました。特にぼくはみんなよりもっとかかった。(笑)

(「傷城」の映像)

荘明渋 金城武は明らかに背も高くハンサムないい男で、
つまり香港四大天王の長、アンディ・ラウにあたります。
(「危険な天使たち」の映像)
四小天王のうちでは金城武が、その頃一番若者たちのアイドルとしての指標を備えていました。
最高にいい顔立ちに大勢の女性ファンが夢中になりました。
バラエティの母の称号を持つ、芸能マネジャーの葛福鴻は、
デビューしたばかりの金城武に対し、独自の見る目を持っていました。
この、かつて大監督・林福地に見捨てられた若い俳優が、
今日アジア中で人気の国際スターになるなんて、誰も予想しないことでした。

厳家正 その頃、フーロンは金城武と契約したあと、ドラマに出演させただけでした。
で、撮影のとき、林福地が彼に頭を坊主にするように言ったんです。
ドラマで必要だったんです、学生は坊主ですから。

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07月10日(金)
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