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武ニュースDiary
by あさかぜ
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■美麗佳人(marie claire)B(更新)
眠くてなかなか先に進めない……
続きです。後1回。
更新、完結しました。 21:00
11年前に戻ったら
彼は役の本質の把握が的確だ。可愛く、聡明で反応の早い俳優だ。
――ジョン・ウー、金城武を語る
1997年、東京の喫茶店で、ジョン・ウーと金城武は初めて会った。
このとき、ジョン・ウーはハリウッド進出第1作「フェイス・オフ」の上映を控えて、
わざわざ東京にプロモーションに来ていたのだ。
ちょうど少し時間ができたので、友人のつてをたどって、金城武と短い時間、話をした。
その日、ウー監督は、彼にどんな映画が好きかと尋ねた。
金城武は少しも考えずに答えた、「コメディーです」。
後になってスタッフや友人たちは誰もが笑って言った。
「頼むよ、アクション映画だって答えなくちゃ」。
しかし、正式の一緒の仕事はかなり遅くなった。
10年後、金城武が「投名状」の撮影を間もなく終えようとしていた時になって、
やっとウー監督が電話をかけてきて、
「赤壁」に出てみる気はないかと尋ねたことから、
ようやく彼ら2人の正式のコラボが実現したのである。
彼は言う。
「監督の頭の中にはたくさんの情景があって、
それを少しずつ試してはほしいものにたどりつくんです。
そしてこう言う、『そう! それだよ!』。
それからそういうのをつないでいく。
初めから終わりまで同じやり方しかないのではないんです」
新聞雑誌は、「赤壁」撮影の終わりごろ金城武とジョン・ウー監督の関係が
悪くなったと書きたてたものだが、
事実は、2人は諸葛亮という役について何度も話し合っていた。
羽根扇をどう持ったらいいか、どのくらい高く持つべきか、どんなふうに振り、
指し、ちょっと動かし、あおいだらよいか。
それは師でもあり友でもあるような関係だった。
1994年に戻ったら
そのころ、ちょうど金城武を「恋する惑星」に起用した。
みな、金城武は基本的に野心がなく、ぼうっとしていると言った。
私は彼は本当は多くを持っている、
つまり、すごくきれいなので、みんな彼を美男だとしか思ってないが、
実はいろんな芝居ができる。
――ウォン・カーウァイ、中央電視台の番組で金城武を語る
1994年、金城武はおそらく「恋する惑星」の撮影所にいたと思う。
かたわらにはウォン・カーウァイ、クリストファー・ドイル、ブリジット・リンもいた。
これが彼にとって初めて脚本を手にしなかった映画である。
普通映画を撮るときは、脚本が支給されるが、
今回もらったのは、いくつか文字の書いてある紙1枚きりだった。
金城武の心に、いったいこれはどういうことだと疑問がわき起こり、
こらえきれずにドイルを見ると、ドイルは何でもないように水を絶えず飲んでいるだけだった。
ドイルに次は何をやるのかと聞くと、彼はごくんと水を飲み、肩をそびやかせて言った。
「俺も知らないんだ」
即興演出という状況のもとでは、誰も何をやっているのかわからない。
金城武はこう言う。
「そのころ、演技しても感情のことは何も考えなかった、
あるいは、感情というのがどういうものであるべきかも知らなかった。
ただ、みんなとても楽しんでいるなと思った」
そのときから、ウォン・カーウァイの弾力性のある撮影方法の影響を受け、
彼は映像制作はまだまだこんなに多くのことができるのだ、
無数の撮影方法があるのだ、ということに気付いたのである。
その後、1995年に「天使の涙」を撮ったとき、
彼は夜中になると肉を売り始める男になることができたし、
大きな母豚の背に飛び乗ってマッサージをすることもできた。
「その時思ったんです、もし演技を続けることができるなら、しっかり俳優をやろう。
俳優はたくさんの違った撮影方法を見ることができるのだから。
歌はやめたほうがいい、おしまいにしよう――」と金城武は語る。
1992年に戻ったら
私が台湾で仕事をしていたころ、彼はフーロンに入ったばかりだった。
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07月27日(日)
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