ID:23473
武ニュースDiary
by あさかぜ
[6279885hit]

■チャン・イーモウと「LOVERS」
「如果・愛」のプロモで訪れたマレーシアでも、雑誌の取材を受けています。
「Vmagazine」のページを見せていただいたので、
それをご紹介しようと思っていましたが、
大陸のブログでチャン・イーモウと「LOVERS」についての
面白い文章を見つけましたので、これを先にすることにしました。
長いので、2、3回に分けます。ちょっと見方が変わるかも。
(もちろん金城武のことも出てきます)


青梅煮酒話埋伏――「LOVERS」評

「LOVERS」を見たときは、台風の真っ最中で、
だから映画と情景がだぶっていた。
映画を見終わって考えたのは、
もしチャン・イーモウに点を付けるなら、80点だということだ。
充分高い点である。
もし、この映画を他の人間が撮ったのなら、40点だって与えないだろう。

この映画で最も耐え難いのは、ストーリーである。
でたらめでスキだらけ、論理的に混乱があり、見られたものではない。
しかし、ひょっとして忘れられているかもしれないが、
チャン・イーモウは昔から優れたストーリーテラーではなかったのだ。
彼の映画は一貫してストーリーを語りたがらないし、下手でもある――
「紅いコーリャン」は優れたストーリーだっただろうか?
物語という点から見ると、完全に破綻していた、が、賞を得た。

長所を生かし、短所を補うのがうまい人もいるが、
チャン・イーモウはそういう人間ではない。
彼は「LOVERS」で、自分がまさにあの、大学入試で、文学では100点、
数学は0点を取り、もう一度挑戦した別の大学の入試でも
やっぱり文学100点、数学0点だった、
歴史家のウー・ハンのような人間なのだと告げているのである。

文学50点、数学50点だったら、私でも取れる。

チャン・イーモウは、人物描写を、事件でもなく、エピソードでもなく、
カメラを通して見る者に深い印象を与える。
言い換えると、彼の映画は理性や思考を犠牲にし、
視覚的効果を用いて、観客の感覚に直接刺激を与えるのだ!
優れた共産党員だった焦裕禄とはどんな人だったかと尋ねれば、
彼に会ったことのある人なら、
30分だってしゃべってくれることができるだろう。
金捕頭はどんな人かと尋ねたら、1枚のスチール写真があれば、充分だ。

もし、あまり手間ひまかけたくないのなら、
カメラの目と一緒になって見てみれば、
「LOVERS」が大変素晴らしい映画だと感じとれるかもしれない。

私は数学者の陳景潤さんとお隣さん同士だったことがある。
頭のいい人がどのくらいおばかさん≠ゥ、よく知っている。
だが、陳景潤はほんもののおばかさん≠セった。
チャン・イーモウは完全なばかではない。
彼は物語の一貫性や信頼性を投げ打ってしまう。
物語の内容に必要なだけのフィルムを費やすのを避けるために。
この必要量は、ストーリーの観点からは必須だが、
しかしチャン・イーモウの視覚世界の構築を壊してしまう。
こういうとき、彼はむしろ理性を犠牲にするのだ。

もし、チャン・イーモウは「LOVERS」によって
観客の感覚を視覚効果で直撃することを試みたと言うのなら、
成功したかどうかは、言うのが非常に難しい。
東洋の観客は理性的だから。
西洋にはこの種の映画は早くからあった。
しかし、「LOVERS」ほど極端ではないが、例えば……「デスペラード」だ。

「LOVERS」は商業映画と言うべきだろうが、イーモウは目をつぶって、
ちょっとばかり芸術的なものを無理やり入れてしまった。
これは例えば、脱税者が希望プロジェクト
(国内の貧しい子どもの勉学を援助するプロジェクト)
にお金を出したり、
清廉な官吏が二号さんを囲ったり、
ヤクザの親分が義憤に燃えて人助けしたりするようなのと同じ、
全くの荒唐無稽である。
だが、今の世の中では、何かを反映していると言えなくもない。

それこそ、なぜセットや小道具がかくも美しく作られているか、
また吹雪の出現が完全に季節を無視しうるかの理由である。

こうして、「LOVERS」は、一種の狂った、何にも通じない論理と、

[5]続きを読む

02月23日(木)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る