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武ニュースDiary
by あさかぜ
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■Esquireの記事A
ロラン・バルトは言っている。
「人は人のイメージの中に迷う。
ちょうど薬におぼれるように。
顔は血肉の1つの表現であり、
触れることも難しいし、顧みないことも難しい」

ここで、私たちも彼の映画について語ってもいいかもしれない。
金城武は自分を運がいいと言う。
デビュー作でアニタ・ムイ、マギー・チャン、
ミシェール・ヨーといった名女優達と共演できたと。
それは1993年の「ワンダーガールズ2」のことだ。

これ以後、彼はほぼ年間5本というペースで、98年まで映画に出演し続ける。
この間には日本でドラマにも出演しており、
中で最もよく知られているのが「神様、もう少しだけ」だ。
99年から、ペースはゆっくりと落ち始め、
最近では、2004年のチャン・イーモウ監督「LOVERS」と
05年にまもなく撮影に入るピーター・チャン監督の
「Perhapa Love 如果・愛」くらいしか知らない。

金城武が演じた数多くの役の中で、真に人の記憶に刻み込まれるものとなると、
決して多くはない。非常に少ないと言ってもいいくらいだ。
しかし、そのことで、人々の心の中の彼の位置が揺らぐことはいささかもない。
依然として、その誰もとって替わることのできない金城武であり続ける。

映画を見終わったあと、彼の演じた役を忘れることはあっても、
金城武が出ていたということは忘れることはあり得ない。
人が、この役が何したこう言ったと語ることはこれからもずっとないだろう。
語られるのはいつも、金城武がこの映画で何をして何を言ったかなのだ。

ウォン・カーウァイの映画では特にそうである。
金城武が私たちに深い印象を与えたのは、彼が演じた刑事223号なんかではなく、
やはり金城武自身のイメージだった。
彼は、ひとり期限切れのパイナップルの缶詰を食い、
ひとりジョギングし、ひとり何かをしながら一生懸命話し続ける。
遠くもあり、近くもある。

人は人のイメージの中に迷う。ちょうど薬におぼれるように。
時に彼は、まず自分で自分を見失ってしまいさえするので、
そうすると、誰であろうと彼のあの顔を目にしながら、
尋ねあてる手がかりを失くすしかなくなっしまう。

彼自身が、そのような人を迷わせることのできる役なので、
その顔を認めるだけで十分、
触れることもできないし、振り捨てることはなおさらできない。
たとえ彼が物を言わず、顔の表情さえうかがえないことが多くても、
私たちは彼の顔をぼんやりとでも見ることができる。

彼は記者にこう語っている。
「本当は、ぼくは子どもの頃からあまりおしゃべりが好きでない。
だから、よくはにかみ屋だと言われるけれど、
実は何を話したらいいのかわからないだけなんだ。
賑やかなのも好きじゃない、1人が好き。
撮影のときは集中するけれど、宣伝には全然興味がない」

また、普段はゲームを愉しんだり、映画を見たり旅行をしたりしている、
他の人とほとんど何も変わらないと思うと言っている。

「いますごく望んでいるのは、私的な空間をもっと手に入れること。
私生活をマスコミからどうやって守るのかと聞かれるけれど、
相手にしないことしかない。
だって、人は生きることから逃げられないのだから。
あることを逃れるために自分の生き方を変えたりしたら、
どうしたって不健康になってしまう」

金城武は、人から忘れられることを気にしない人間のようだ。
ひょっとしたら、彼はかつて、ちょうど「天使の涙」での彼のせりふのように
強く望んだことがあったのかもしれないと思う。

「毎日たくさんの人とすれ違う。
中には友達や知り合いになれる人もいるかもしれない。
だからぼくは人とすれ違う機会を逃さない。
頭から血が吹き出したって、気にしない!
嬉しければそれでいい。

その夜、ぼくはまたあの女と出会った。
彼女と友達になれないのはわかっていた。
ぼくらは服がすり切れるほど、何度もすれ違える機会があったのに、
火花は散らなかったから。

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05月28日(土)
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