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武ニュースDiary
by あさかぜ
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■雑誌記事(外灘画報A)
スタッフたちは彼にスペシャル映像を制作して、お祝いにあげようと考え、
ジョウ・シュンにバースデイ・ソングを歌ってもらい、
賄いの女性他そこで働く人々に、彼への祝辞を語ってもらった。
ピーター・チャンは初め、心配した。
「そういうものはやらないほうがいいんじゃないか。
彼の性格からすると、きっと嫌いだと思うよ」
当日、ピーター・チャンはもともと脚本にはないシーンをわざわざ金城武にやらせて、
日が落ちるまで仕事をぐずぐず引き延ばしてから、
また彼を呼んで、モニターの前に座らせた。
実は、モニターに流れたのは、あのスペシャルビデオだったのだ。
金城武は驚き、嬉しそうな顔で、「みんなぼくに言ってるの?」と尋ねた。
後になって、やっとみんなは、彼がとっくにこのことに気づいていたのに何もしらないふりをして、
みんなの芝居が終わるまで合わせていたのだと知った。
ピーター・チャンはため息をついて言った。
「ぼくらは映画を作っているチームなのに、こんなにみんな演技が下手くそで、
簡単に見破られるなんて」
金城武をよく知る人は、彼は相手を信頼しさえすれば、警戒心を解き、
非常に穏やかで優しく、面白い人に変わるのだと知っている。
サンドラ・ンの明かしたところによると、現場での金城武は、
ジェット・リーやアンディ・ラウのような人受けがよく、
いつも人々に取り巻かれて談笑しているようなタイプとは違い、1人で座っている。
しかし、何か問題が起こると――例えばあるスタッフの動作がのろくて、
ピーター・チャンが腹を立て叱りつけたりすると、彼はすぐに立ちあがり、
「大丈夫ですよ、もう1回やりましょう」と、とりなし役になるのだというのである。
北京のプレミアのとき、主なスタッフ・出演者が台上に上がり、
映画のための除幕を行なった。
ほとんどの者がカメラに向かい、幕を取り除いたが、
ひとり、監督の傍に立っていた金城武は気を働かせ、
除幕後に床に落ちた布を拾い上げて後方の椅子に置きに行った。
「ぼくの印象では、彼は非常に聡明な人で、そしてとても教養があり、礼儀正しいですね」
と小杜は言った。
恵まれたパン・アジアの身分を「打ち破る」 23:00
金城武は15歳で台湾の芸能界に入った。
この業界に必要な優れた外形を備えていたが、それ以外は優れたところはなかった。
かつては小虎隊のスー・ヨウポンらやジミー・リンと共に、
レオン・ライ、アーロン・クォック、ジャッキー・チュン、アンディ・ラウの
「四大天王」の後継者としての「四小天王」に列せられたこともある。
しかし、結局、彼は香港で映画に出演して映画界に入り、
日本でドラマに出演して人気を博し、
その後ピーター・チャン、チャン・イーモウ、ジョン・ウーに従って内地のマーケットを切り開いた。
金城武の成功は、芸能界の異例の現象となった。
他の者とは全く異なる道を歩んだのである。
台湾ではマスコミに「あっというまだった」と言われている。
台湾の雑誌「大声志」は2006年に金城武論を掲載し、こう結論した。
「演技が平板で、歌も普通の金城武が人気者になった最大の要因は、
その符号としての意味をもっているところにある」
金城武は生まれながらにアジアに広がる身分を持ち合わせていた――
父親が日本人で母親が中国系台湾人である。
また、外形にも恵まれている――179センチの長身に整った容姿。
そのイメージはある種のミスリアスな「過渡性」に満ちている。
台湾では日本の進んだ「現代性」のイメージを代表しながら、親近感を失わない。
日本では、その台湾出身という背景を生かして、1998年から続けて9年間、
日本アジア航空のイメージキャラクターを務めた。
「大声志」は、このように自在で、曖昧に身分を消し、転々としながら
人に嫌われないのは金城武だけのようだと書いている。
過去の成功は、今日の金城武にとって、諸刃の剣である。
上海の著名な映画評論家、孫孟晋は、はっきりとこう言う。
「人々のイメージにある金城武は、ピカピカに精緻に磨きあげられた顔を持ち、
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08月07日(日)
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