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武ニュースDiary
by あさかぜ
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■智族GQ12月号B
1億ドルで買えないわけないですよね? 終わったな、と思いましたね」

金城武が学校をやめて17年後のこと、フィリピンの商人の息子である正熙は、
ニューヨークで思いがけなく彼から電話をもらった。
2人が会ったとき、金城武は彼を強く抱きしめた。
「ちょっと熱かったですよ。ぼくを見るととても喜んで、
かばんをしょっていて、目つきと学生っぽさは昔のまんまで、
すぐに昔の友達だった時代に戻ってしまいました」

高校時代、正熙と金城武はバレーボールチームで一緒だった。
10年生のとき、もう1人の日本国籍の同級生と一緒に
シンガポールの学校に試合に行ったことがある。
3人はベンチの補欠要員で、相手の学校の学生寮に一緒に泊まった。
「毎日どこかに出かけるたびに、彼ら2人は必ず、まず煙草を吸うんです。
なぜ吸うのかと聞くと、金城武は床に座って台湾のあんちゃんみたいな風をして冗談を言いました。
『煙草を吸えなきゃ男じゃないさ!』」

「男らしさ」という名目のもと、正熙は金城武の手から人生初めての煙草を渡されたのである。
当時の自分のアイデンティティについて、正熙はある複雑な事情を話してくれた。

「その頃、台湾人は外国のものをとてもクールだと考えていたんです。
だからABCはもてはやされました。
アメリカでは本当はランクの低いチェーンレストランFriendsが開店したときのことを覚えてますよ。
台湾の若者の間であっというまに大人気になりましたからね。
その頃、アメリカンスクールの生徒は大部分が黄色人種でしたが、
一般の台湾人に対しては、ぼくらは自分たちを外国人だと感じていました。

ところが毎年夏休みになると、台湾政府はLove Boatという名前の事業で、
純然たるABCを、台湾の学校で中国語を学ぶよう招くんです。
実際は、こういう未成年たちは中国語を一生懸命学ぶ必要なんかなくて、
台湾には酒を飲みに来るんです。全くの放蕩、遊びですよ。
政府は表向きはそれを勧めないけど、基本的には黙認です。
彼らを台湾に来る気にさせて、台湾は面白いところのように思ってもらって、
ここで仕事に就いてもらいたいんです。
このとき、ぼくらは自分が台湾人だと感じて、そういう奴らは排斥しましたね。
ぼくらのところに来て放蕩して、大声でしゃべったりするのは、
自分たちの特権が侵されるように感じたんですよ」

そして、当時のアメリカンスクールは、かなりの程度、
この開放して10数年しかたたない宝島(台湾)にしばし在住する、
複雑な身分の外国からの過程の子どもたちに、確かに強力な保護を与えていたのだった。
高校を卒業すると、正熙はアメリカのバークレー公立大学で設計を学んだ。
「同級生たちもまた貧乏人ではなかったけれど、初めて、こういうもっと現実的で、
質素で、より生活に密着している人たちに出会ったんです。
働かないと学校に行けない人もいました。自分で学費を稼いでいたんです。
そういうようなことは、高校時代のぼくは全然わかっていませんでした。
前の学校は非常に閉ざされた世界だったんだなと気づきました」   (続く)


多分、あと1回。


 BBS   ネタバレDiary   0:30

12月22日(火)
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