ID:23473
武ニュースDiary
by あさかぜ
[6278450hit]

■ピーター・チャン、涙を流すB
中国ではなぜレイティングをしないのか、と、ずっと言われているけれど、
実際は、商業的環境から、たとえレイティングがあっても、
誰も三級片(アダルト映画)は撮らないでしょう。
多分1、2年前だったら出資しようという者もいたかもしれませんが、
日がたてばたつほどわかってきたんです、三級片を撮ろうという人間なんかいないって。
というのは、それを作ったら、大勢の観客を失ってしまう、
進んで監督にそんな危険を冒させる会社はないですからね。

最初、香港で映画を撮り、それから台湾の資金で撮り、
次にアメリカに行ってハリウッド映画を撮り、
はたまた今度は北京に来て撮ろうがどうしようが、
ある制限と規範の尺度の中でできるだけのことをする、ということに変わりはない。
しかし、調整ができた後は、撮れないものなんかないことに気がつく。
100パーセントの自由が欲しいなら、絵を描くか、本を書けばよい。
映画を撮るには必ず資金が必要であり、すなわちそこには圧力があり、
100パーセントの自由は不可能です。

音楽時空 今、大勢の香港の監督が内地に来て映画を撮っています。
多くの昔ながらの香港映画のファンにとっては、
当時の嘉禾(ゴールデン・ハーベスト)や新芸城(シネマシティ)、UFOのような
質感の映画を見なくなって久しいですが。

ピーター ああいう映画は未来永劫、再び現れることないでしょう。
香港の監督のことをいうと、内地のほうが資金が多いから来るのではなく、
香港で撮るものがないからみんな来るのです。
香港というところはそもそも映画産業が立つようなところではありませんでした。
以前、香港映画が栄えた理由は、
非常に特殊な経済的、政治的、文化的雰囲気があり、
それが香港を極めて自由度の高い前衛的な都市としたからです。

音楽時空 その特殊性はどこにありますか?

ピーター 特殊性は、香港が国ではなく、都市であったことです。
大陸は香港に口出しせず、イギリスはなおさら香港にはかかわり合わなかった。
香港は植民地ですから、イギリス人は香港の文化は大したことないと思っていたし、
香港の方でも、そう思われても平気だった。
そこで香港という空間はいっそう自由なものになったのです。

その頃、ぼくらは日本や韓国、マレーシアより、ずっと前衛的だった。
ぼくらには何の悩む種もありませんでしたから。
さらに、台湾と大陸は当時、それぞれの政治背景があり、
そのため、その頃作られた映画には我々ほどの自由はありませんでした。

音楽時空 では、香港映画の没落は、国家の香港への統制が、
今、強くなってきたからなのですか?

ピーター いいえ、今だって口出しはありませんよ。そうでなくて、
問題は中国改革が始まって以降、香港の各方面における重要度が、
アジア全体の中で低くなり始めたということです。
香港映画の輸出先はもうありません。
今東南アジア各国の華僑の第2世代、第3世代は、既に現地人化していて、
もう香港映画を見る必要がなくなっているのです。

香港の600万人が列になって、全員が1回ずつ映画を見たとしても、
1本の映画の製作費を回収することはできません。
100パーセントの人間が映画を見ても元手を回収できないという事態があって、
ぼくら映画を作る人間は、どう撮ったらいいんだろう?
シンガポールに映画産業はあるでしょうか? フィリピンには?
ああいう小さな1地方が、どうして映画産業を持ちうるでしょう。
これはちょうど海水魚を淡水の湖に放つようなもので、生きていけるわけがない。

昔の中国は割に閉鎖的だったので、上海の映画人は香港にやってきたし、
また、香港は、アクション映画によって、中国に代わり
世界に文化を輸出する中継点となり得ていました。
だからこそ、香港映画はあのように、いっとき急激に花開いたのです。
去ってしまった時代は去ってしまったのであり、懐かしむすべもありません。
もう香港映画を見る人はいない。タイも今は自ら映画を作っていますし、

[5]続きを読む

02月16日(月)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る