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武ニュースDiary
by あさかぜ
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■U MagazineB(更新)
また新しい大作の時代劇に出ないかと話があったのなら、
多分、『あーあ』という感じだったかもしれない。
ほんとに、そういう反応だったんじゃないかな。
これも縁だと思いますね、そのときは、ちょうどまだスーツケースが北京にあって、
その後の仕事のスケジュールも決まってなかった。
どうせ、『投名状』で苦労したのだから、
もうちょっとぐらい苦労しても同じだって思ったんです」
一番おかしかったのは、この話をピーター・チャンにしたところ、
チャンは彼のことを笑ってこう言ったことだ。
「彼は『こんな日が来るとはね』と言いましたよ。
だって、以前、ぼくはこんな風に次から次へと映画に出るなんてことはめったになく、
いつも1つの作品が終わると、必ず休んでいましたから」(続く)
前に書いたように、香港経済日報の特集記事が、この雑誌の記事とかぶっていて、
同じ記者による書き分けのせいですが、ちょうど上の部分にあたるところが、
少し書き方が違うので、あわせてそちらも以下に紹介することにします。
ここ数年の金城武は、平均して1年に1本の映画に出るという具合だった。
彼が意識的に量を減らし、脚本を厳選しているのだと思っていたら、
なんとそれはただ「縁」のせいだったのだ。
「どんなに選んだって、チャン・イーモウを選ぶなんてことはできないでしょう?
本当はぼくも、彼がなぜぼくを『LOVERS』に選んだのかわからない。
事務所の人からこの話を聞いたときは、
監督は名前を間違えているんじゃないのかって聞き返しました。
まさか自分にこんなチャンスがあるなんてね」
冷静な金城武は、もちろん「LOVERS」が彼の仕事に
どんな意味をもっていたかを理解している。
「その後、いわゆる中国の大作映画に次々と出るようになりました。
オファーをしてくれるのは、とても幸運だと思います。
初めは心配でもあったんですが、なぜならすごく大規模でしょう、
ぼくがこれまでにやってきたことや、
勉強したことが、使えるのかどうかわからなかった。
彼らの映画に出ることは、こちらの持ち出しよりも収穫の方が絶対多かったですね」
ジョン・ウー監督の「赤壁」への出演もまた、もう1つの出会いである。
「『赤壁』はこちらの計画にあったものではなく、
突然電話があって、『赤壁』に出るチャンスがあると言ってきたんです。
ぼくは、だめだよって言いました。
というのも、トニー(・レオン)が大丈夫か心配でしたから。
ちょうどそのときは、「投名状」の撮影が終わったときで、北京にいました。
荷物もまだあって、次に何をしろというのも決まっていなかった。
で、『投名状』は本当に大変だった、
もう少し大変でもかまわないやって心の中で呟いたんです。
もし、そのときもう台北に帰っていて、
大作で時代劇で、北京ロケで、と話があったら、休みたいと思ったかもしれません」
このとき、ピーターも「赤壁」に出るよう、彼を励ました。
「彼は、ぼくが積極的でないって言うんです。
だから『赤壁』に出るんだよと言ったら、『出なさい、出なさい』って。
おまけに『こんな日が来るとはね』とからかわれました。
つまり、ぼくが1本映画が終わると、
すぐ休みたがるのを知っていたからなんですけど」
結局、金城武は、今年北京で一番長くすごすことになった。
最も寒いときと、最も熱いときの両方経験して。
(香港経済日報 2007.12.24)
BBS ネタバレDiary 19:50
01月01日(火)
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