ID:23473
武ニュースDiary
by あさかぜ
[6278632hit]
■孫淳の話●9人の脚本家(投名状)
自分自身に備わった実力がある。
映画館では、こういう俳優が創り上げた役の人物を見るのです。
司会者 それが実力派なんですね。
孫淳 演技派、実力派というのはこういう人たちです。
いわゆる実力派は、この世界で長いことやっていくことができます。
長いこと持続していける、それが実力で、
実力がなかったらやっていくことはできません。
ですから、演技派は、自分に近い役、眼鏡をかけ、上品で
とても文化的な感じの人間を演じられるし、同様に山賊も演じられる。
私は虐殺者や変態の殺人狂を演じることもできます。
私は自分をこう見ています。
司会者 別の役を演じることが出来る、それが実力派の証明だ、
と言うのは初めて聞いたような気がします。
俳優の演技を批評して、アイドル派かどうか考える人はいませんでした。
おそらく金城武のような人を、人は美男と思うでしょうが、
こういう俳優は長くやっていくことができると思いますか?
孫淳 私は預言者ではないので、
その人の持っている条件に照らして考えられるだけですが、
青春時代の彼がアイドル派の俳優だったことは疑いありません。
その後、年輪を経て、次第に経験が深まっていきました。
アイドル派であろうと実力派であろうと、演技の殻を破りたいと思うものです。
私は、彼の前途は長いと思います。
彼の努力は見て取れます。
精神にダメージを受けた役でトニー・レオンと共演し、
自分の過去のよく似た役と同じにならないようにできていた。
俳優としてずっと歩んでいくことができるでしょう。 (後略)
(TOM娯楽 2007.12.21)
●9人の脚本家 22:00
「投名状」が、いかに長い時間をかけて構想され、
丹念に準備がされたかの一端が、その脚本の成立過程でうかがわれます。
湖南経済網の記事から、一部を抜書き。
ピーター・チャンは、「自分の映画ではいつも脚本家が参加して一緒に討論するが、
この『投名状』は、新記録だった」と語る。
彼が、毎日一緒に脚本に手を入れる監督だということを勘定に入れても、
執筆者は9人にのぼったのだ。
撮影開始前に書かれた脚本は10数編に達する。
「もちろん、脚本家達は一緒に仕事をしたわけではない。
初めはやはり『刺馬』の物語をもとに脚色を始めた。
第1稿の後世は、秦天南が2003年に書いた。
執筆に半年ほどかかったが、方向が良くなかった」
並行して、実はピーター・チャンは香港の李碧華にも
「投名状」の物語の執筆を依頼していたのだが、
これも同様に理念が合わなかったのだった。
どちらも「刺馬」を張文祥は馬(新胎)が好きだったが、
かなわず、逆に馬を殺した≠ニいう同性愛的傾向のストーリーだったのである。
こういう方向はピーター・チャンが求めているものとは違う。
「その後、私は『如果・愛』の撮影に入った。
クランクアップの当日、須蘭に脚本を依頼した」
「投名状」の概念を含む全ては、上海の女性作家須蘭が提供したものである。
しかし須蘭の脚本は、出来上がった今の映画とはかなり違っていた。
「彼女は私に多くのインスピレーションを与えてくれた。
だが、彼女のストーリーには、主役と関係ないエピソードが多すぎて、
小説にはいいが、映画では表現できなかった」
そののち、かつてツイ・ハークのために「新龍虎門客桟」の脚本を書いた、
何冀平が1ヶ月間手がけた。
同時に、ピーター・チャンは長年の仕事仲間、林愛華(「如果・愛」)にオファーをしている。
「彼女は私のことを一番よく知っている」
クランクインの2週間前、さらに、香港のベテラン脚本家、
阮世生(「金枝玉葉」「忘不了」)に助けを求める。
こうであってさえ、クランクイン当日、
彼はまだ脚本に7割も満足がいっていなかった。
撮影開始後の初めの1ヶ月、毎日のスケジュールは、
「昼間撮影し、現場では黄建新(「求求你、表揚我」の監督)と
郭俊立(「スピリット」)という2人の脚本家と相談する。
[5]続きを読む
12月23日(日)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る