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『日々の映像』
by 石田ふたみ
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■中越沖地震の記録 (37)
上村家は4世代7人暮らし。山あいにある50戸の集落で、同居する長女の祥子さん(25)と宏明さん(26)夫妻は唯一の20代夫婦。過疎化が進む山村で、芽瑠ちゃんと萌愛(もあ)ちゃん(4カ月)の姉妹は宝のように大事にされている。瓦が落ちてくる中、芽瑠ちゃんを抱きかかえようとした重治さんに不運が襲ったと見られる。
携帯電話からも家の電話からも、119番はつながらない。助けを求める家族の大声で駆けつけた近所の人の手を借り、血まみれの重治さんは後部シートを倒したワゴン車にそっと運ばれた。
宏明さんの運転で、20キロ離れた長岡市の長岡赤十字病院に向かった。峠を越えるカーブで、体を支える君子さんに「痛い」とうめいたのを最後に重治さんの反応がなくなった。路面は地震で波打つ状態。宏明さんは玉のような汗をかきながらハンドルを握りしめた。
病院には40分ほどで着いた。救急外来の医師は、頭から血を流す患者がワゴン車で運ばれてきたことにまず驚いた。頭蓋骨(ずがいこつ)に直径2センチほどのくぼみと、亀裂があった。血液が脳を圧迫し、医者は「助かるとも助からないとも言えない」と妻に告げた。
3時間に及んだ手術は成功だった。手術後、重治さんはずっと眠り続けていたが、3日ほどたつと、問いかけに言葉を返すようになった。「ここは病院。いま何歳?」と君子さんが聞くと、答えは35歳だったり、45歳だったり。夜に大きな声で歌い出すことも。
〈淡い初恋 消えた日は 雨がしとしと 降っていた〉
森昌子さんの「せんせい」だ。重治さんは自宅にカラオケセットを持つほど歌好きで、この曲は15年以上前によく歌っていた曲だった。
「汽車汽車シュッポ、シュッポ」「ハトぽっぽ」と口ずさむこともあった。地震の前、いろんな童謡を集めたCDをかけながら芽瑠ちゃんと歌っていた。四つんばいになった重治さんが汽車になり、芽瑠ちゃんが背中に乗る。手をつないで踊ることもよくあった。そんな夢でも見ていたのだろうか。
地震から2週間後、重治さんの意識が戻り始めた。大部屋の病室に移ったその日、芽瑠ちゃんが訪ねてきた。「芽瑠ちゃん、おいで」と重治さんが手を伸ばすと、芽瑠ちゃんが左手をそっと差し出した。
枕の上に、「じいちゃん ありがとう」のメッセージが飾られた。守ってくれようとした祖父のために、芽瑠ちゃんが母親の手助けを受けながらサインペンで書いた。重治さんの趣味のゲートボールの絵も描いた。
そんな思いが通じてか、重治さんは3週間で自力で歩けるようになった。歩くと少しふらつくが、「周りが心配するほどじゃない」と強がるほど元気になった。
ただ、重治さんには地震直前から2週間ほど後までの記憶がない。芽瑠ちゃんも、「地震」と聞いて首をかしげるほどの年ごろだ。
「2人の命があることは奇跡だと思う」と話す君子さんは「この1カ月で命の大事さを家族でかみしめた。そのことを2人にもちゃんと伝えたい」。
4、潟県中越沖地震から1カ月 復興への道半ば 朝日新聞
2007年08月16日00時59分
新潟県中越沖地震は16日、発生から1カ月を迎える。被災地では仮設住宅への入居が始まり、生活は落ち着きを取り戻しつつあるが、避難所48カ所で635人が暮らす。今回の地震による死者は11人。柏崎市は地震発生時刻の午前10時13分、防災行政無線を通じて犠牲者への追悼の祈りを呼びかける。
5、中越沖地震の支援金申請、写真で可能に…罹災証明発行前に 毎日新聞
内閣府は、罹災(りさい)証明の発行前でも、写真で住宅の被害状況がわかる場合は、被災者生活再建支援法に基づく支援金の概算支給申請を受け付けることを決めた。
被災者生活再建支援制度の弾力的運用の一つ。新潟県中越沖地震の被災者支援に適用できるよう、すでに各都道府県に通知した。
通知では、罹災証明書を受けるまでに日数がかかることを考慮。被災者の早期の生活再建を後押しするため、一見して住宅の倒壊がわかる写真があれば申請を受け付けるよう求めている。従来は、所得証明、本人確認のための住民票などと、罹災証明書を添付しなければ申請できなかった。
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08月17日(金)
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