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『日々の映像』
by 石田ふたみ
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■中越沖地震の記録 (22)
 同日朝、着任した武黒副社長は、原発内の事務本館前で、職員を前に「地域の信頼が揺らぐ未曽有の試練に全力で立ち向かい、災害に強い発電所にするため、総力を結集して取り組みたい」とあいさつ。この後、刈羽村役場、柏崎市役所を訪れ、着任を報告した。
 柏崎市役所では、会田洋市長が「風評被害を含めて間違った認識を持たれている面もあるので、問題がないことを国内外できっちりPRしてほしい」と注文を付けた。武黒副社長は、8月下旬から2か月ほどかけて、原発周辺の海底で断層調査を進め、年内にもデータの解析を終えたいと説明した。
 武黒副社長は、6人いる副社長のうち、原子力・立地本部長を担当しており、2001年から3年間、同原発所長を務めた。
(2007年7月30日13時59分 読売新聞)



4、柏崎、災害続きで廃業商店も  新潟日報
 商店や住宅が混在し、中越沖地震で建物の倒壊などが起きたJR柏崎駅南側の柏崎市宮場町、城東地区。両地区は2005年6月の集中豪雨による水害で家屋浸水の被害が相次いだだけに、住民は「ようやく水害を忘れかけていたのに…」とうんざり顔で片付けに追われる。2度の自然災害に見舞われた商店主の中には、営業再開をあきらめる人も現れている。

 同市内は2年前の水害で約500棟が浸水。国道353号沿いの両地区は道路が冠水、孤立状態となった一部住民がボートで救出された。その記憶もさめないうちに、震度6強の揺れが襲った。

 「もう廃業、廃業」。同市関町で食料品店を営んできた加藤昭子さん(65)はさばさばした口調だった。2年前の水害では店内が浸水、商品も水浸しになった。畳を替えて再出発したが、地震では建物そのものが大きく傾いた。今は、つっかえ棒でかろうじて支えている状態だ。

 地震当日、商品などがひっくり返った店内を目にして、店を畳もうと決めた。住み慣れた店舗兼住宅を離れ、数百メートル先の親せき宅に身を寄せている。「水害の時も店をぶちゃろう(捨てよう)かと思ったけど。今回はもう駄目。やめる」。地震から2週間の30日、保健所に廃業届を出した。

 同市城東1の海津栄子さん(71)宅は、室内の柱に床上浸水した時の水の跡がくっきりと残っていた。夫とクリーニング店を営む海津さんが混乱した店内を片付け、営業を再開したのは先週末。店は今後も続けるつもりだが、周りではまだ避難している住民も多く、開店休業状態だ。

 海津さんは2年前を振り返り、「徐々に水が上がったから、商品を2階に運ぶ余裕があった。水害は水が引けば(復興は)早い」と語る。しかし、地震については「一瞬のことでどうしようもなかった。お客さんも被災して仕事にならない」と嘆いている。
新潟日報2007年7月31日



5、避難所の被災者、疲労色濃く   新潟日報
 中越沖地震から30日で2週間。柏崎市などの避難所には、1600人を超す住民が不自由な暮らしを強いられている。睡眠不足やストレスに悩まされ、被災者の疲労も色濃くなってきた。中には避難所を転々とさせられる人もおり、先の見えない生活に不安を募らせている。

 柏崎市田塚3の主婦若月清江さん(82)は震災以来、慢性的な睡眠不足に陥っている。夜中でも寝ている自分の脇を人が歩き、日が昇る前から起き出した人の話し声が聞こえる。同じフロアで生活していた男性は、脳こうそくで病院に運ばれた。むくみ始めた左足を見ながら、「自分もいつそうなることか…」と不安な表情を見せる。

 小さな子どもがいる母親もつらい思いを強いられている。同市の女性会社員(38)は、1歳4カ月の4女が毎晩のように夜泣きをするたび、屋外に出て、泣きやむのを待つ。周囲からは「うるさい」「しつけがなっていない」と小言を言われ、肩身を狭くする。

 多くの人が集まっている避難所はプライバシーが保たれにくい。同市西本町の主婦小菅千代子さん(57)は「下着を含め洗濯ものを干す場所がない」と嘆く。近くのコインランドリーに行く姿も多く見られるが、「衣類を出し入れする際、ジロジロ見られている気がする」(同市の25歳の主婦)という。


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