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たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
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■『誘拐の掟』を観て
12ステップに魅力を感じ、自ら12ステップに引き寄せられてくる人の中には、現実の壁にぶち当たって挫折し、怒り、恨みや哀しみを抱えている人が少なくありません。12ステップの解釈を間違えると、12ステップを「動かし難い現実を変えるための道具」として使い出します。無力を認めたはずなのに、現実を自分の信念に合せて変えるための力を求めるようになってしまいます。一生懸命12ステップに取り組んでいるはずなのに、傍から見ていてなんだか辛そうな人ができあがるのは、そんなカラクリなのではないしょうか。

映画「誘拐の掟」の中の一つのシーンを紹介します。マットが誘拐犯と交渉している中で、人質を無事帰してくれれば見逃してやる、だから犯人は「ロサンゼルスに行って同じ事を続ければ良い」と言い放ちます。マットは元警官ですから、犯人を逃がして良いとは決して思っていないはずです。むしろ犯人を許せないという強い正義感があるはずです。けれど、いま目の前の問題である人質を救出するために、迷いなく「見逃してやる」と言える。(・・もちろん、その通りに話は進まないのですが)。

「清濁併せ呑む」という言葉があります。広辞苑を引けば、「善・悪のわけへだてをせず、来るがままに受け容れること。度量の大きいことにいう」とあります。現実の壁にぶち当たって希望を失う人は、清い水だけ飲みたがっているように見受けられます。汚い水を避けることが善性だと言わんばかりに。

先日マインドフルネスの講座のためにインドから偉いお坊さんがやってきました。僕は忙しくて行けませんでしたが、行った人からカードをもらいました。そのカードには

no mud no lotus

と書かれていました。意味は「美しい蓮の花は泥土から咲く」とありました。汚い泥土がなければ、蓮の花は咲きません。泥を拒んで蓮の花だけ手に入れることは無理なのです。時には自分が悪役を引き受けねばならないときもある。評判を落としたり、誤解に耐えなければならない時もある。自己犠牲の域を超えて、理想から外れなくてはならないときもある。その時に、それを選び取れるようでありたい。

僕はよく回復を登山に例えます。登山道は登山口から山頂へまっすぐ向かってはいません。直登は大変ですから、たいていは、斜面を斜めに進んでいきます。すると山の起伏に沿って、上りへ向かうはずの登山道が、一時下るときもあります。それは、自分の理想とは反対方向に進まざるを得ない局面があるということです。動かし難い現実を、そのまま受け止めるしか方法はないのですから。

そう考えると、マット・スカダーは12ステップの価値観を体現したヒーローと呼べそうです。絶版にならないうちに、マット・スカダーシリーズは買いそろえておかなくちゃ。

12の掟

06月18日(木)
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