ID:19200
たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
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■翻訳企画:AAの回復率(その10)
ゼネラル・サービス本部は「政府」の役をするような指示やルールや規則などを発行することはない。だから、AAの年次調査は、それぞれのグループが安定した中心的メンバーの数としてセクレタリから報告される数を、それが多かろうと少なかろうと、忠実にそれらをすべて集計したものである。ニューヨークでは4人のスタッフが新しいグループ一覧表を作成するために、3ヶ月にわたって、数千枚の情報カードと、必要な情報を提供しようと望むグループから送られてきた数え切れないほどの手紙を処理している。
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現在に至っても、AAの持つ自治性と無名性という性質が、精密な調査結果を導き出すことを極めて難しくしていることに変わりはなく、本質的に不正確なものである。

以下の表4と表5内のデータは比喩的なものであり、文字通りに解釈すべきものではない。数字は実態より低く見積もられている。グループのメンバー数は、AAWS/GSOのリストに掲載されるように要求したグループのものだけを数えている(非常に多くのグループがリストへの掲載を望まない)。メンバー数の推計を送らないグループもあり、時間が経っても以前に送った推計を更新しないグループもある。メンバーが複数のグループでカウントされることもありえるし、数の表現も「報告」であったり「推計」であったり何度も変更された。これらのデータは注意深く、懐疑的に、かつ正しい文脈で解釈されなければならない。

AAは約150ヶ国にある(海外には50のGSOがある)。AAWS/GSOは彼らのリストへの掲載を要求してくる他のGSOやグループからデータを得る。現在のデータが得られない場合には、以前の数字が用いられる。報告を送ってこないグループのメンバー数の推定には、報告を送ってきたグループの平均値が使われる。そもそも、こうした数字はせいぜい良く言って「曖昧」であり、間違った結論を避けるためにも解釈には用心が必要である。このデータからは特定の年の増加あるいは減少を正確に測ることはできない。ではあるものの(不正確ながら)、AAグループがより多くの場所に広がり、より多くのAAメンバーが回復していることを10年単位の傾向で示すことはできる。

表4:

33. AA最初のグループ「アクロン#1」は1935年7月4日に始まった。これは3番目のAAメンバーであるビル・Dがアクロンシティ病院を退院した日である。
34. %の数字があまりに大きく、前後関係からして並はずれているので n/a を表示した。

1979年には海外の数値が見直され、1978年の倍になった。1993年と1994年には、アメリカ/カナダGSOの計数方法と記録システムに大きな変更が加えられた。「ミーティング」と表現され「グループ」と見なされないグループの数は、それ以後は含まれなくなった。こうした「ミーティング」(典型的なのは「アルコールと処方薬」や「家族向け」など特別な目的のためのもの)は、前年までのデータには含まれており、数値を膨らませていた。1993年と1994年の改訂は、AAメンバー数の前年よりの急激な減少としてしばしば誤って引用されるが、実際にはGSOの計数方法と分類の管理上の変更を反映しているに過ぎない。

長年のあいだ、GSOでは彼らが正確な総数と信じる「推定数」を発表してきた。この「推定数」は報告を集計したデータより大幅に多い(時には3倍)。また、各年の基準月に一貫性がないことも指摘しておくべきだろう。1960年から1982年までのデータは、その年の4月1日までに送られてきた報告を集計していた。1983年以降現在までのデータはその年の1月1日から12月31日の間に送られてきた報告を集計している。現在の評議会報告書に掲載されているデータは、前年のものである(例:2006年の評議会報告書には暦年2005年を集計したデータが掲載されている)。


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02月04日(水)
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