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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■イッセー尾形ワークショップ交流会に寄せて
昼まで泥のように眠る。
昨日からの歯の疼きが気になっていたからでもあるが、痛み止めを余計に飲んでいても、やはり何かの拍子でずきんと来るのだ。歯を根こそぎ一本抜き取ったのだが当然ではあろうが、縫った糸の端か舌にチクチク当たるのを感じていると、やっぱり今度の医者もヤブなんじゃないかという気がしてくる。
ともかくヤブ率高いんだよね、福岡は。
それでも昨日食事ができなかった復讐戦ということで、夜は、イッセー尾形ワークショップin博多の仲間たちとの交流会に出かける。
ワークショップに参加するのも別にこれが初めてではないのだが、他のメンツもよく語っているように、終了後もこうして仲間が集まるというのは、奇妙を通り越して、こいつらアタマがおかしいんじゃないか(笑)とすら感じてしまう。
あれだけ森田雄三氏、イッセー尾形氏にダメ出しされ、罵倒されているというのに、もしかして全員マゾなのか?とか。もちろん私もその一員ということになってしまうのだが。
一番若い参加者の女の子から、「大人になったら叱られることがないから、それが気持ちいいんじゃないですか?」と言われたが、案外そんなものかもしれない。
生活共同体の中で、自分の役割と人生が一致していた過去の大人と違って、社会の中で根拠も基盤もなく、責任だけを強要される現代人は、加齢はしていてもそれは形だけの大人に過ぎず、「オトナ」とカタカナ表記しなきゃならないようになってしまっている。
だから大人が諍いを始めると、子ども以上にみっともないことになってしまいがちだ。実際、「この人は大人だなあ」と感じる人間に出会うことなど、滅多にあるものじゃない。
イヤなことがあればさっさと退散してしまえるネット社会などはなおさらで、これまでどれだけイカレた連中に絡まれたか、数えるのも面倒になってきた。
申し訳ないことだが、私の日記を読んでいろいろ問合せを受けることも多いのだが、知り合い以外のイチゲンさんを相手にしなくなっているのはそういうわけである。
ワークショップの仲間たちもまた、それまでに全く出会ったことのない人たちばかりである。
なのに、どうしてまた合おうという気になれるのか。
なぜこんな「同窓会」を作れてしまうのか。
誰かが、この仲間たちは「戦友」なのだと言った。では私たちはいったい何と戦ったのか。イッセー尾形とか、森田雄三とか。
多分そうではなく、「擬似大人にしかなれなかった自分たち自身」とである。
森田氏が「大家族」をテーマにしたのは何のためか。
時代を現代ではなく昭和にし、方言を復活させたのは何のためか。
我々が失ってしまったものを取り戻すことが可能かどうか、それを試されているのだ。
映画ではノスタルジーに浸るだけで終わる。しかし、このワークショップでは、過去を再現し、それを「体験」できる。
そこに我々は「生きている」実感を覚えたのではないか。
だから我々は「終わらない」のである。シロウトばかりの集団が、新たなコミュニティを作れるのである。
「叱られるのがイヤだ」と不参加だった知り合いが何人かいたが、まあ確かにリアルに生きることから背を向けてるところがある連中ではあった。もったいない話である。
我々は本当の大人になりたいのだ。多分。
あ、しゃぶしゃぶ鍋はうまかったよ♪
12月02日(土)
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