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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■愛想尽かしの言葉がダメなお前に似合いさ/『仮面ライダー響鬼』最終之巻/『ウミショー』1巻(はっとりみつる)
『仮面ライダー響鬼』最終之巻「明日なる夢」。
ついに終わったなあ。多分この最終回についても何だかんだとイチャモン付けるオタクどもはいるんだろうが、もう好きにしたまえ、という感じ。30話のときにはまさにてんやわんやの大騒ぎだったけれど、そこまでにはもうならんだろう。フツーの人は熱くなってるオタクのアホウさ加減に疲れちゃってるって。
まあ時々はこういうドタバタがないことには、オタクがどれだけアホウかってことを世間は認知しないし、本人たちも自省するってことがないから、侃々諤々喧々囂々の論争が起こること自体は悪いこっちゃないのである(だから森永卓郎あたりがオタクをおだて上げて持ち上げるのがよくないの)。
『響鬼』の公式ページに、細川茂樹さんのインタビューが掲載されているが、最終回の脚本もどうしようもなくて(つか、間に合わなかったんだと)、現場でスタッフ・キャストが相談して改定していったそうだ。以前、この日記でも「脚本はかなり現場で手直しされてるんじゃないか」と推測していたんだけど、それがキャストの証言で裏付けられはしたな。
細川さんの発言をそのまま引用するが、改定前の井上敏樹の脚本は、「あれは忘れた方がいいですよ、ホント(笑)。(中略)話になんないんですよ、申し訳ないけど(笑)。」ということだそうである。なんだかねえ(笑)。
公式ページにこんな記述が載ることも珍しいが、見方を変えればこれが東映のほんのささやかな自浄努力って言えるかもしれない。あ、ここの主催はテレビ朝日の方か。じゃあテレビ局にも東映に対して怒っているスタッフがいるってことなのかな(笑)。
細川さんは、更にここまで仰っている。
「「仮面ライダー響鬼」というか、『仮面ライダー』自体がもっとメジャーになる方法をいくつか見つけましたね。(中略)いくつもありますよ。それをするかしないか、でもっと変わりますね、多分。僕はプロデューサーでもなければ、ディレクターでもないのであえてそんなおこがましいことは公には言えないですけど、やっていてもっともっとできると思ったなぁ」
端的に言ってしまえば、制作サイドの意識の中に、「仮面ライダー」という肩書きにおんぶに抱っこな部分から抜け出せていない部分がまだまだあるということだろう。
プロデューサー交代、脚本家交代というトラブルはあったが、結果的にこの最終回は、崖を這い登るシーンや夕日のラストシーンなど、大石真司脚本の一之巻『響く鬼』、二十九之巻『輝く少年』を受け継ぐ形で完結した。多分、その部分は元の井上敏樹脚本にはなかったのだろう。そのような「改定」を施したのは、キャストも監督他スタッフも、井上敏樹脚本に飽きたらなかったということの何よりの証左である。「もう三十話以降は見ません」「DVDの不買運動をしよう」などとヒステリックな反応をしていたファンは、そういった現場の人々の努力を見ようともしていなかったことになる。
もうはるか昔、それこそ最初の『仮面ライダー』で、藤岡弘、の本郷猛が、突然いなくなり、佐々木剛の一文字隼人が2号ライダーとして登場した時だって、当初、ファンは拒絶反応を示したものだった。藤岡さんの怪我が原因とは言え、見ている子供たちにとってはそんな裏事情はあまり忖度されるものではない。ネットなど影も形もない時代ではあったが、あの交代劇は私の通っていた小学校でもクラス中を騒然とさせた。恐らく疑問の声の大きさは全国規模だったのではないだろうか。
けれども、「変身」ブームと、後の1号ライダーの復帰によって、不満の声は吹き飛んでいった。「ダブルライダー」という設定は当初のライダーの孤独な戦いを否定するものではあったが、それこそ『スカルマン』のような狭い世界で展開される危険すらはらんでいた物語の世界観を一気に拡大させた功績は決して無視できるものではない。あの交代劇がなければ、後のライダーシリーズは生まれなかった可能性だってあるのである。
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01月22日(日)
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