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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■楽しかったり腹立ったり/映画『マザー・テレサ』/『まなびや三人吉三』3巻(山田南平)
『ウルトラマンマックス』第30話「勇気を胸に」進化怪獣ラゴラスエヴォ登場。
ショーンが怪獣攻撃の新兵器開発に悩むあたりは、『ウルトラマン』第37話「小さな英雄」で、イデが「ウルトラマンがいれば科学特捜隊は必要ないのではないか?」と疑問を呈したエピソードを彷彿とさせる。今回はそれにカイトの「ウルトラマンマックスはなぜ自分を選んだのか?」という疑問も同時に投げかけられることで、ドラマがより重層的になっている。
答えはやっぱり「我々地球人が勇気を出して自らこの星を守らなければならないのだ」ということになってしまうのだが、十年一日で深みがないと批判的に受け取るか、これは普遍的な真実であると好意的に解釈するか、賛否は分かれそうな気がする。でも特撮ドラマを安易に現実社会に比定して考えるのは危険な面もあるからねえ。敵が怪獣や宇宙人なら単純明快な正義を振りかざしたって構わないけれど、現実の人間の敵はやっぱり人間なんだからね。
「守るべき者を守るために戦う」というスローガンは「専守防衛」を標榜する戦後民主主義の下では戦う口実としては実に「座りのいい」発言なので、特撮、アニメを含めてフィクション世界ではイヤになるほど繰り返されてきたわけだが、まあ現実の戦争はそんなキレイゴトではすまない規模にまで拡大してしまっている。だから、そういった視点で見るなら、確かに『マックス』は「所詮は子供だまし」と言われてしまいかねないのだが、こういうジュブナイルは「生きるための基本姿勢」だけを示すことができればそれでよいと思うんだけど、どうだろうかね。
この世界の怪獣がどこからやってくるのか分からないけれども、仮に前話の通り、「人間の怪獣を想像する力が怪獣を生み出している」ということであるなら、「怪獣を想像しやすい性格の人間を事前に狩り出せ」という、『デビルマン』の悪魔特捜隊みたいな発想の方が「現実的」と見なされかねないのだ。
朝から、天神のソラリアプラザ2に一人で映画『マザー・テレサ』を見に行く。
しげも誘ったのだが、「興味ない」ということなので、もう無理には誘わない。布団にくるまったまま朝寝をしているしげに「行ってくる」と声をかけると、「いつごろ帰ってくる?」と寝ぼけ声で聞き返されるが無視する。いちいちしげを気遣うのにも私はもう疲れてしまっている。しげがただ聞いてるだけで、それまでに食事の準備をするとかそんなことを考えているわけではないということも分かっているのだ。
心を入れ替えて家事もする、と言っていたのに、また朝寝をしていることからも、所詮こいつはマトモな生き方ができる人間ではないということが分かる。声を聞くだけでも腹が立ってくるので、ほったらかしてさっさと出ていく
天神まで出ても、ソラリアプラザには本屋がないし、上映される映画も他のシネコンで見られるものばかりなので、滅多に足は踏み入れないのだが、三つの映画館のうち2だけは「二番館」なので、見損なっていた映画をたまに見に行くことがある。
これも若い人には説明が必要だが、「二番館」とは、封切り映画を、時期を置いて再映する映画館のことで、「名画座」という言い方もしていた。かつては全国のあちこちにあったのだが、レンタルビデオ屋や衛星放送の普及とともに殆ど潰れてしまっている。福岡に唯一残っているのがこのソラリアシネマ2である。観客もだいたい、私のような客や、安いからいっぺん見てるけどもう一度見ようかという客が多い。
『マザー・テレサ』自体は、映画としては全体的に静かな印象で、そんなに大きなドラマがあるわけではない。カルカッタの貧困地域で慈善活動を続けたマザー・テレサの実際の「苦労」は多分フツーの人間には計り知れないものがあるのだろうが、何しろ2時間の映画であるから、妨害があったりスキャンダルにまみれたりしても、すぐに救済の手が現れたり、誤解が解けたりするのである。
勘違いされては困るのだが、私はマザー・テレサの業績がたいしたことがないと言いたいわけではない。映画の上ではたいした苦労をしていないように「見えてしまう」という事実を指摘したいのである。
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01月21日(土)
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