ID:10788
無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
[491657hit]

■「懐かしい」だけでも泣けるけど/映画『銀色の髪のアギト』&『ALWAYS 三丁目の夕日』
 『古畑任三郎ファイナル』三夜の視聴率が全て20%を越えたと言う。瞬間最高視聴率は32%とかで、10%越えれば第ヒットって時代で、これはなかなか驚異的なことだ。ただこれが世にミステリーファンが根付いた結果だというわけでもないんだろうなと考えると、そんなに喜ぶ気にもなれない。
 夕べ東京のグータロウ君に退院の挨拶をした時に『古畑』についてもいろいろ駄弁っていたのだが、彼は『古畑』についてはかなり「辛い」見方をしている。ミステリーとしてはそれほどハイレベルというわけでもないので、欠点を指摘することは確かに簡単なのだが、もともと視聴者のターゲットがファミリー層であろうテレビドラマで、ミステリマニアを相手にするような鬼面人を驚かすような大トリックが仕掛けられるはずもないのである。
 確かに既成のトリックの組み合わせと応用だけで成り立っているようなエピソードが大半なのだけれど、少なくとも「テレビというメディアならでは」の工夫は随所に見られるのである。そこを評価せずに揚げ足取りなことばかり言っていると、森卓也みたいにただのイヤミなジジイになっちゃうぞ、というのが彼の意見を聞いていての印象であった。
 なんつーかグータロウ君はね、そのへんの小汚い定食屋に入って、メシを注文して、「何で最高級のコシヒカリを使ってないんだよ」と文句付けるようなマネすることが多いんだよね。使わねーよ、普通。少なくとも『金田一少年の事件簿』のように、「応用もせずに既成のトリックを借用」したり、『名探偵コナン』のように、「他作品のトリックのネタバラシ」をしたりするような「ルール違反」をしてないだけ、『古畑』の方が何十倍も良心的なのである。
 それよりも腹が立つのは、ネットで「ミステリマニア」を気取ってる連中が、断り書きも何もなく、ミステリーのトリックを日記でバラしまくってることね。ミステリーの性格上、マトモに批評をしようと思えば、確かにトリックや犯人に触れざるを得ないって事情は分かりはする。けれど読者の中にはその作品を見てない人、これから見ようと思っている人も確実に存在するのだ。だったら「ネタバレあり」と前書きしておくことは最低限のルールじゃないか。そんな基本的なことも守れないやつに、ミステリーを軽々しく語ってほしくないのである。ましてプロになんかなるな、青山剛昌。
 私は「ネタバレあり」の断り書きを殆ど付けず、極力、ミステリーのトリックには触れないようにしている。それでその小説やドラマ、映画の面白さを伝えるのは不可能に近いのだが、「ネタバレあり」「未見の方は読まないで」の断りを入れても、やっぱり読んじゃう馬鹿は絶対にいると思うからだ。「何と言われようと読みたいものを読むのは読者の自由だろう」と主張されれば、それはその通りだと答えるしかない。でもそんな馬鹿を相手にしたくはないから、最初から何も書かないのである。
 だもんで、『古畑』については、第一夜の『今、蘇る死』(ゲスト:藤原竜也・石坂浩二)が三夜中、一番完成度が高かった、と書くに留めておきたいと思う。

 グータロウ君は『キング・コング』がヒットしていないことを嘆いていたが、以前の日記にも書いた通り、あれはピーター・ジャクソンの「趣味」が思い切り前面に出た映画で、それはまず日本人には親しめない質のものなのである。
 そのグータロウ君ですら「あざとい」と感じた「崖っぷちでのスタンダップ芸」と「ラスト直前のスケート」シーンこそ、ジャクソン監督が一番やりたかったことに違いない。しかし、日本人の大半は、あのシーンが監督の過去の映画へのオマージュであるとは気付かないままに、「失笑」しているのではなかろうか。本当に笑われるべきなのは「無知な日本人」の方であるにも関わらず。
 「文化の違いを越えた普遍的な面白さ」なんてのは実は存在しない。アメリカ映画にしろフランス映画にしろ、我々の受ける「感動」は、本国の人々のそれとは似ているようで違っている。一見、受けているように見えるのは、「普遍性があるように錯覚することができるもの」がヒットしているにすぎないのである。

[5]続きを読む

01月08日(日)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る