ID:10788
無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
[491657hit]
■まだまだ書き足りないが/舞台『屋根の上のヴァイオリン弾き』
長いような短いような、結局年末年始のタノシミをことごとく潰してくれた入院生活も今日でやっと終了である。
本当だったらなあ、年末は上京して「イッセー尾形とフツーの人々」の舞台に参加するつもりでいたんだがなあ。何日も喉の痛みと咳が止まらなくて、鼻血がとめどなく出て、食ったものをゲロゲロ吐いて、腰が抜けて歩くのもツライ状況になって、かかりつけの病院に駆け込んでもロクな検査をしてくれなかったので別の総合病院に行ってみたら有無を言わさず緊急入院させられたのである。精密検査をしてみたら中性脂肪は1500(通常は100以下)、ヘモグロビンA1Cは12.5(通常は5.8以下)、血糖値が500近くあったので(通常は110以下)、医者の話によれば「昏睡寸前」だったのだそうだ。ほっときゃマジで死んでたかもしれないのである。
それが、インスリンの点滴を打ったり、食事制限して運動して、まあ私自身も努力はしたつもりだが、中性脂肪は95、血糖値が85まで下がったのだから、医者も「こんなに早く回復するとは思いませんでした」とびっくりするほど。おかげで10日退院の予定が三日早まった次第である。
けれどこの病院、看護師がいい加減で入院中は連絡が行き届かず、検査やら栄養指導やら糖尿病教室やらの予定がコロコロ変わって、かなり右往左往させられたのだった。正直、こんなんじゃ医療ミスもしょっちゅう起こってるんじゃないかと疑われるほどで、二度と再入院はしたくないのである。まあ、アバウトだったから、運動療法に看護師が付き添うこともなく、コースを外れて本屋に行ったりしてもバレなかったし、消灯時間後もあまり見回りが来ないので、テレビを見ることもできたりして、気楽に過ごせはしたのだけれど。
でも病院としてはこんなに管理体制がデタラメなんじゃろくでもないと言われても仕方がないよな。
病院での最後の朝食は七草粥。
テレビでちょうど「最近は七草粥を作る家庭も少なくなって、七草を言える人も殆どいなくなりました」なんてニュースを放送している。昔は七草粥を食べない家庭なんてなかったから、本当に誰でも暗唱できていたのだが、イマドキは世の中馬鹿ばっかに成り果てているから、下手すりゃ七草を「しちぐさ」とか読みかねない。私なんぞは幼稚園のころから「せり・なずな・ごぎょう・はこべら・ほとけのざ・すずな・すずしろ これぞ七草」と呪文のように口にして覚えていた「常識」なのだが、これも言えないというのなら、若い人の持っている「常識」というのはいったい何なのか。モー娘。のメンバーを全員言えることか。
しきたりとか伝統とか、そういうものの中には確かに旧弊で因循なものも多々ある。しかし、「災厄除け」という迷信的なタテマエはともかく、七草粥が、まだ名のみの春の時期に採れる野草をうまく調理して栄養価の高いものとして食膳に供することができるようにしたものであるということは、先人の季節の生活に密着した知恵の産物であり、決して簡単に捨て去ってしまってよい習慣ではないと思うのである。
モノを知らないだけならそりゃきちんと教育してくれなかった親や教師や環境のせいに責任を転嫁することもできるが、いったん知識を提供されても「そんなもの知らなくてもいい」と馬鹿であることに開き直ってりゃあ、「馬鹿の中の馬鹿」だともっと蔑まれるだけである。そんな端から見ていて恥ずかしくてたまらなくなるマネなんかしてないで、少しはモノを知ろうって努力をしてみろよと言いたくなるのは当然の帰結だろう。上から見下ろしたようなモノイイほするんじゃないよとお叱りも受けそうだが、言いたくなるんだよ、あまりにも馬鹿だから。
でも、世間は、そんなこと言ってもわかんないくらいの馬鹿ばっかりになっちゃってるから、私の文句も所詮は愚痴にしかならないんだけどね。
迎えに来た妻が、テレビカードの残りを換金し忘れて家と病院を2回も往復したり、というドジは踏んだものの、九時には無事に帰宅。帰る間際にも運動はしていたので、風呂に入って汗を流す。病院の風呂より狭いが、くつろぐのはやっぱり自宅の風呂だ。
[5]続きを読む
01月07日(土)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る