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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■17万ヒット!/映画『キング・コング』&『乱歩地獄』
新年、明けましておめでとうございます。
長らく更新が滞り。
数えてみればもう一月以上も更新がなかったわけで、お待ち頂いた方には申し訳ない限りなのだが、事情は掲示板にも書いた通り、糖尿病の悪化による突然の入院があったことが大きい。血糖値が500まで跳ね上がっちまったんだもの、医者が「入院しろ」って言うのは仕方ないわな。もちろんそれ以前から、私生活での難儀なデキゴトもやたら起こっていて、本や映画の感想など書いていられるか、という事態に陥っていたのではあるが。
けれどもその間も、ミクシィやはてなの方は一日も欠かさずに更新をしていたのだ。そちらは身辺雑記を簡単に書くことが多いので、こちらに比べれば書くのはラクなのである。「無責任」が更新できない分、せめてそちらをご覧になって頂きたいと、ご希望の方にはメールで連絡を頂いてアドレスをお教えもしたので、一応、常連さんから「いつになったら復活するんだよ」というお叱りは頂かずに済んでいる。しかし見方を変えるなら、現在、こちらの日記を覗いている人の殆どが「通りすがりさん」なのだと推測できる。
つか、劇団の連中もこの日記、ろくすっぽ見てないということが判明した(笑)。愛想のないヤツラばかりだということは実感しちゃいたから今更文句なんてないんだが。
でも私の日記のメインは、たとえ更新が滞ろうとも、この「無責任賛歌」なのである。何となれば、ミクシィのように読者の「顔が見える」ところでは、どうしたって相手への「遠慮」というものが生ずる。マイミクシィに登録して下さっている方々は、私がかなり過剰なことを書いたとしても「まあそういうやつだから」と笑って済ましてくださる方ばかりではあるのだが、これは「書き手の心理」の問題であるからどうしようもない。
よく「不特定多数の人に読まれる場合には言葉に気をつけて」と言われるが、話は全く逆なのである。どんなに細心の注意を払って書かれた文章であろうと、どこかの誰かを傷つけない可能性が皆無とは言えない。「人を傷つける言葉が全てダメ」ならば、我々はほんの一言すら発することができなくなってしまうのだ。たとえば、「人を殺してはいけない」と発言したとして、「でも世の中には過失で人を殺した人もいるのだから、そういう人を傷つけたらいけないので、そんなことは口にすべきじゃない」と反論されてしまうようなものである。そんな馬鹿な話があるわけがない。たとえ他人を中傷する言葉であろうと、「発言そのものは規制されてはならない」のは民主社会の鉄則である。発言の後に批判を受けることと、発言そのものを規制するのとでは意味合いが全然違う。
即ち、「表現に規制をかけること自体が根本的に理不尽なのだ」という結論にどうしてもなるのである。「不特定多数の人に読まれるからこそ、表現の自由はどこまでも際限なく保障されねばならない」ことは、この国が本当に個人の「人権」を保障し希求する社会であるのならば、絶対に遵守しなければならない根本的なルールであるのだ。
何だかんだと「人権」を振りかざす連中が、その実、他者の言動を規制する快感に酔い痴れている昨今である。自由に書ける、いや、「自由に書く」場というものを個人が確保しておくことは、これからの方がもっと必要になっていくのではなかろうか。
だから仮に、私が「こんなヤツラはバカ」と貶したタイプの人間に、読者の皆さんが「偶然」当てはまったとしても、それは「あなたを想定して書いてるわけではない」ので、腹を立てたりするのはお門違いなのである。でもやたら多いんだ、そういうバカ。被害妄想は「バカの上塗り」をすることにしかならないから気をつけようね。
血糖値の下がり具合もよく、元旦の一時帰宅がかなったので、病院で朝食を取ったあと、妻と二人で櫛田神社に初詣。
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01月01日(日)
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