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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■何かを得た後で/『怪盗紳士ルパン』(モーリス・ルブラン)
『イッセー尾形とフツーの人々』出演の興奮、未だ覚めやらぬ毎日を過ごしているところに、ワークショップ参加者の方から「今度『打ち上げ』をやりますので参加しませんか?」のお誘いメールがある。
みなさん、あれだけ森田さん、イッセーさんにダメ出しされていたというのに、懲りてないんだなあと、もちろんこれは嬉しく感じている。
「ともかく舞台に立ちなさい。それを経験することが大事なんだよ」と森田さんは繰り返し仰っていた。もちろん、出演者のそれぞれの演技には上手下手はあるし、見栄えのする人、見栄えのしない人、様々である。けれどもそんな違いを一切モノともせず、これまで演技経験など殆どない人々が果敢に舞台に挑戦していた。シロウトの怖いもの知らずと言われればそれまでだが、森田さんたちと一緒に付いて来たこのワークショップの企画者の方が、二日目の反省会の席で「みなさんが舞台に立っているということ自体がものすごいことです」と仰っていたことが、今も耳に残っている。ともかく他の会場と違って、今回ほど舞台が「形にならず」、森田さんが悪戦苦闘した舞台もなかったということである。「キャストのナマ声による効果音」のアイデアも、森田監督の苦肉の策だった。
私なんぞは容姿には全く自信がないし、キャラクターとしての華もないと思っているので、公演が終わったあとでも、皆さんの足を引っ張っちゃってたろうなあと忸怩たる思いを感じている。けれどもそれは一緒に出演したフツーの人々みなさんが抱いていることだろう。前のスケッチの出演者が素晴らしい演技を見せる。その後では誰もが臆するのが当然だろう。いや、あのイッセーさんと同じ舞台に立って、そのイッセーさんに平然とツッコミを入れる我々というのはいったいナニモノなのだろうか。シロウトという立場を越えた「何か」がそこにあったとしか私には思えない。
森田さんは「一人一人が責任を引き受けて舞台に立ったことが素晴らしいことだったんだよ」と仰っていたが、多分、出演者はそんな「責任重大」というプレッシャーすら考えずに(というよりは忘れて)、あの舞台に立ったのだ。だって立たなきゃなんないんだもん、仕方がないだろう(笑)。
恐らく、この「北九州編」の人たちは、同じ舞台を共有した仲間というよりは、森田さんたちと、そしてお客さんを相手に戦った「戦友」のような感覚を持ったのではなかろうか。
そういう次第だから、お誘いにはぜひとも乗りたかったのだが、当日は既に仕事関係の出張の予定が入ってしまっていた。集まりは夜ということだったから、当日のスケジュール次第では参加できる可能性もないわけではなかったのだが、何しろ北九州まで出張って行かねばならないのである。確約はとてもできないので、涙を飲んでお断りのメールを送った。残念無念である。
仕事帰り、夕食は「パピヨンプラザ」の「ロイヤルホスト」で。
ロイヤルの会員になっている関係で、ちょうどしげの誕生祝いの20%割引ハガキが届いていたので、ちょっと遅れはしたが、バースデイ・パーティーである。こういうとき、「海の見えるレストラン」とか「ホテルのラウンジ」とかを予約できずにファミレスで誤魔化しちゃうところが庶民である。
でもファミレスファミレスって言うけどさ、昭和30年代はデパートのレストランだって大衆にとっては「月に一度の大贅沢」だったんだからね。あの当時にロイヤルホストが存在していたら、間違いなく「高級レストラン」だと認識されてたに違いないんである。いや、今だって、「ロイヤルで食事するのは月に一度程度」って家庭は結構あると思うんだが。
なんでこんなこと言ってるかっていうとさ、私がしげに「ちょうどバースデイ・パーティーになってよかったね」って言ったら、「これが?」って不満そうな顔をしたからなのだ。だからこいつは貧乏な生活が長かったくせに、なんで「足るを知る」ってことが感得できないかね。しげの一番イヤなところは、我慢することを「苦痛」としか捉えられないところである。カウンセラーの先生が「いいところは誉めてあげてください」と仰ることが理解できないわけではないのだが、メシ奢ってもらって「ありがとう」の一言も言えないやつのどこをどう誉めりゃいいのか。
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09月22日(木)
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