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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■負けるな小林雅文!/映画『ノロイ』
 たまに行われる「日本人の宗教観」に関する意識調査、先月初旬に読売新聞が行った結果が、今朝発表になった。
 別におかしな結果が出たわけではなく、「何か宗教を信じているか」との質問に対し、「信じている」が23%、「信じていない」は75%。「宗教は大切であると思うか」という問いには、「大切」が35%、「そうは思わない」60%。つまりは「日本人の四人のうち三人は宗教を信じていない」という結果が出たことになる。
 養老孟司さんは、盆や正月の習慣が消えていないことを挙げて、「日本人に宗教観がないわけではない」と説明されてはいるが、少なくとも欧米の考える宗教とは全く性質を異にしていることは間違いのないところだろう。よく「国際社会において、無宗教であると表明することは神をも恐れぬ危険人物と見なされる」と問題視されることから、仕方なく「Shintoist」「Buddhist」と名乗れと言われてはいるが、現実に純粋な神道家や仏教徒など、日本人には殆どいない。神道も仏教も、我々にとっては「箸と茶碗で飯を食う」のと同等の、ただの「習俗」だからである。
 習俗が宗教だとは言えないのは絶対性を持たないからである。キリスト教徒が神を冒涜すれば、これはもう、悪魔の所業であって、「天罰」が下されることを覚悟せねばならない事態である。仮に「そんなことあるもんか」と思っていても、一抹の不安は残る。それが「宗教心」というものだ。しかし、宗教が習俗化した場合、そのような神の絶対性は殆ど有形無実のものとなる。「腹出して寝てるとカミナリ様がヘソ持ってっちゃうぞ」と言われても、本気でヘソを取られると思っている日本人は誰もいない。けれどもやはり親から子へ、子から孫へとその言い伝えだけは受け継がれていくのである。これが「習俗」というものだ。だから、霊魂なんて存在しないと思っていても墓参りができるのである。
 日本人には習俗はあっても宗教観はない。これは国際社会にあってはとても理解しがたいことだろう。仏教徒だとかウソをついて見せたところで、そんなのはすぐに化けの皮が剥がれる。「日本人であること自体が神を冒涜している」のである。だから、日本人がどうあがいたところで、真の意味で国際化することなんてありえない。世界が「宗教を持つこと自体が罪悪である」と認識しない限りは。
 そんなことは不可能だって? それはそうだ。けれど、それがやれなきゃ、日本はいずれ「悪魔の国」の烙印を押されかねないのだ。そしてそのためには日本人がもう一つ、克服しなければならない課題がある。
 調査では、「神や仏にすがりたいと思ったことがある」人が54%に達していて、「ない」の44%を上回っている。宗教を「信じていない」人の中でも、「すがりたい」人のパーセンテージは47%だった。神様なんていないことを知っているから、自分の力ではどうにもならないような事態に直面したときに、かえって「神様がいたなら」と思ってしまう。これは、日本人の心がいかに脆弱であるかということを如実に示している。
 日本人は弱い。そりゃもう、世界で一番軟弱な民族だと言い切ってもいいくらいだ。日本人の美徳として、謙虚さとか、奥ゆかしさとかが称えられることは多いけれども、そういうのは実は「宗教」という精神的な支柱が欠落しているために起きる「臆病さ」でしかない。苦しいときに頼まれてしまうその「神」とは、実は西洋の絶対的な存在ではなくて、ただの習俗としての神でしかないのだ。
 だから、日本人は本気で「強く」なろうとするのなら、たとえどんなに苦しい目にあっても、「神頼みだけはしない」くらいの精神力を持たなきゃならないのである。 ……ムリかな、やっぱ。

 
 しばらく書くことはないかなと思ってた、高校野球の不祥事の問題。
 今度はお膝元の福岡ですよ(涙)。
 甲子園代表の常連で、今年の夏も出場した柳川高校の野球部員二年生が、一年生部員に対して練習態度が悪いとの理由で、箒の柄で殴ったりしてけがを負わせたとのこと。高野連は柳川校の対外試合を禁止する臨時措置を決め、この結果、来春の選抜大会につながる秋季福岡大会には出場できなくなった。

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09月02日(金)
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