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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■「思想」がらみで映画を見るな/映画『亡国のイージス』
(昨日の日記の続き)
 映画『亡国のイージス』。
 『妖怪大戦争』は満席だったが、こちらは公開後一週間が経ったせいか、かなりお客さんは少なくなっている。入っているのがせいぜい四、五十人くらいで、広い劇場内がやや閑散としている印象。休日の夕方だって言うのに、これでホントに50奥が狙えるのかなあとふと心配になる。
 客層は『妖怪』が親子連ればかりだったのに対して、こちらはカップルや若い女性同士でってのが目立つ。渋いキャスティングだから、大人が多いかと思っていたのだが、おじさんファンの女の子が集まってきているのかな。

 公開前から、あちらのお国で、日本の軍国主義を肯定する映画だとか、出演したあちらの女優さんが本国でバッシングを受けたりとか、映画外での騒動が喧しかった作品である。「なんであの国とかあの国とかあの国とかはいちゃもんばかり付けてくるのだ」ともうウンザリも通り越しているのであるが、この手の映画ではどうしても政治がらみになることを避けられない。
 けれども、『亡国のイージス』は基本的にエンタテインメントである。この程度の物語に目くじらを立てるというのは狭量と言うほかはないし、第一アチラでは反日思想まるだしの(しかも事実の捏造に基づいた)映画を腐るほど作っているのだ。文句を付けられる筋合いのものでもなかろうと思うのだが、自分たちがいかにリクツの通じない難癖を付けているのかって自覚はこれっぽっちもないのであろう。
 あちらさんに反論したところで、マトモに会話ができるわけもない。既知外に既知外めと言ったところで既知外だから理解できないリクツである。あるいは「謀略」を題材にされたことが「図星」だったためにいきり立っているものか。どっちにしろ外野は無視して、この映画は世界にでもどこにでも持っていけばいい。この映画の意味は、世界の観客が判断してくれるだろう。

 海上自衛隊のイージス護衛艦「いそかぜ」の副艦長・宮津弘隆(寺尾聰)が、某国のスパイ・ホ・ヨンファ(中井貴一)と共謀して艦を乗っ取った。
 「現在、本艦の全ミサイルの照準は東京首都圏内に設定されている。その弾頭は通常に非ず」
彼 らは最新特殊兵器「GUSOH(グソー)」で首都東京を狙い、日本政府に防衛庁情報局(DAIS)の存在を公表することのほか、様々な要求を突きつけてくる。
 DAISの渥美大輔(佐藤浩市)は、ヨンファの陰謀を早くから察知し、「いそかぜ」に工作員として如月行(勝地涼)を潜入させていた。しかし先任伍長・仙石恒史(真田広之)の勘違いから、如月の防止工作は失敗に終わってしまう。
 政府は東京壊滅を回避するために「いそかぜ」の爆撃を決定した。タイムリミットまでおよそ10時間。いったんは退艦させられた仙石だったが、事態を解決するべく、一人「いそかぜ」の奪取に舞い戻る。果たして間に合うか。

 原作はかなり以前に読んだので中身を殆ど忘れているのだが、こうして映画にまとめてみると、なんだか『東京湾炎上』か『機動警察パトレイバー2』かって印象を受けるね。もっとも福井晴敏の小説はどれもドラマの骨格は同じなんだが。
 それでも長大な原作を説明過剰に陥ることなく、うまくまとめている印象で、決してつまらないということはない。ヘタな監督だと、背景となる事実の説明をするのにナレーションに頼ったり説明的なセリフばかり連発したりして、ドラマを停滞させてしまうのだが、個々の会話がよく練られていて、もたつきを殆ど感じない。
 「原作派」はやたらと「説明不足」だの「省略のし過ぎ」だのと騒ぐが、「小説と映画はそもそもメディアが違う」という常識がいつまで経っても定着しないのはどういうわけなのだろうか。みんな学校に通ったことがないのだろうか。それとも日本の学校では「小説と映像の読解の仕方の違い」を教えたりしていないのだろうか(してない学校も多いんだろうな)。

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08月08日(月)
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