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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■日本人の「常識」/映画『妖怪大戦争』
 『仮面ライダー響鬼』第二十六之巻 「刻まれる日々」。
 26話でちょうど折り返し。もっとももう八月に入っちゃってるから、52話放映できるかどうかは分からない。最終回とか一時間スペシャルにしてくれるとか、そういうサービスがあるといいんだけどね。
 ちょこちょこといろんな設定が明らかにされてはいるが、「夏の魔化魍」ってのもかなりいい加減。つか、「黒い謎の男から作られる大きな魔化魍と、白い謎の男から作られる人間と同じ大きさの魔化魍の2種類があって、等身大の魔化魍は夏になると出てくるため、『夏の魔化魍』と呼ばれている」なんて、無駄な設定、作りすぎ。まあドラマは相変わらずまったりしてるけど、まったりしすぎていて、果たしてきちんと終われるのかどうか心配になってきた。つか、終わんなくてもいいのか。なんかいつどこで終わってもおかしくないくらい日常ドラマになっていて、今や特撮版『渡る世間は鬼ばかり』になってる感じだ。まあ下敷きは『寅さん』だけどね。
 今回、下條アトムがお休みだったけれど、単に役者の都合なのか、これもドラマ上の何かの伏線なのか。この人も役に立ってんだか立ってないんだか全然分からないね。

 
 ノルマを果たすようにキャナルシティで映画をハシゴ。
 一本目は『妖怪大戦争』。
水木しげる・荒俣宏・京極夏彦・宮部みゆきの四人共同のプロデュースだけれど、印象としては、「京極色」画より強く出ている感じがする。ともかく妖怪ファンの妖怪ファンによる妖怪ファンのための映画で、次から次へと繰り出されて来る妖怪を見ているだけで楽しい。最初は人間が妖怪を顔出しで演じるということで不安もあったのだが(昔の大映版では「油すまし」や「ぬらりひょん」はかぶりものをしていた)、竹中直人がCGでドデカ頭にさせられていて、ちゃんと油すましに見えたのには大笑い。あれは最後までデカアタマで通してほしかった。
 必ずしも伝承にある妖怪ばかりではなくて、京極さん命名の「新しい」妖怪も多数で、どれが創作された妖怪か探すのも一興だろう。私は大満足であったし、会場満杯の親子連れも大笑い、これはなかなか評判がいいんじゃないかと思っていたのだが、帰宅してネットの反応を見てみると、必ずしもそうでもなかったので、ちょっと驚いてしまった。しかもその中身がかなり「混乱」しているのである。

 映画の何に惹かれどこを見るかというのはもちろん自由である。物語に惹かれるも、キャストに惹かれるも当人の自由であるし、どんな感想を抱いたって自由だ。
 ただそれは「基本的には」ということであって、その映画を見るにはそれなりの「素養」が必要になることは常識であって、映画によっては「素養」に欠けた人間の感想や批評は、無意味などころか映画の価値を不当に貶めることにもなりかねない。
 外国映画で、キリスト教的世界観が分からなければ何のことやら見当もつかない映画はたくさんあるが、そんなことに一向に無頓着に感想を述べて頓珍漢なことを書き散らしているプロと称する批評家は腐るほどいるのである。
 けれども、外国映画のことを日本人が分からない、というのなら仕方のない面はある。けれども、日本人が日本人としての「素養」を知らないということになれば、これはかなりゆゆしき事態ではないかと思う。

 映画に関して賛否両論が巻き起こるのは当然のことだが、『妖怪大戦争』のネットなどでの感想、「否」を唱える人の意見がどうにも「的外れ度」が高いのである。どれだけ混乱しているかというのは、この映画について、「所詮は子供向け」「オトナのお友達しか楽しめない」と正反対の反応があることからも分かる。この映画を「子供が見るか大人が見るか」という視点で見ること自体、「的外れ」なんだが、批評の言葉が少ないというか、映画を見るキャパが狭い連中には、その程度の常識的な見方もできないのである。つか、なんでそんなやつらばっかり映画を見に来てるんだよ。

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08月07日(日)
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