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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■60年間の原爆/舞台『おじいちゃんの夏』
 『ウルトラマンマックス』第六話「爆撃、5秒前!」(装甲怪獣レッドキング 両棲怪獣サラマドン 飛膜怪獣パラグラー 電脳珍獣ピグモン登場)。
 二話連続、前回の続きで完結編だけれども、まあ予定調和でこんなもんかって終わり方だった。「歩く爆弾」レッドキングの扱い方は旧ウルトラマンと同じように見えるけれども、旧作が水爆を飲み込んでたって設定だったのに対して、今回は島そのものが爆薬で、その岩を飲み込んでいるって設定に変わっている。なんで岩なんか食ってたんだレッドキング。
 水爆なんてツマラヌものを作っちまった人間の浅知恵に対する批判が今回なくなってしまったのは残念で、なるべくメッセージ性を排して純粋エンタテインメントに徹しようというつもりなのかもしれないが、話もその分、薄く軽くなっちゃってるのはなんだかなあである。もっともこの薄さは『ティガ』以降の平成ウルトラマンシリーズに全て共通している要素なんで、今更文句言ったって「色」が変わることはありえまい。でもこの「薄さ」に慣らされちゃってる若いファンが増えてしまって、前作『ネクサス』に過剰なまでの反感を抱いてしまったのはやはりウルトラシリーズにとっては不幸であったと思う。話の広がりと言うか、新しい試みができないような状況を作っちゃってるからね。シリーズというものはこうしてだんだんとマンネリ化し、逼塞していくものなのである。


 広島の原爆投下から60年。
 戦争体験者は、それも終戦時に成年に達していて、あの戦争がどういう戦争であったのかを実体験を元に語れる世代はもう80歳以上になっている。
 「風化を許すな」というスローガンはもう何十年も声高に叫ばれてはいるが、けれども実際にその風化を食い止めるための実効力のある試みがどれだけなされていたのだろうかと思う。
 「原爆投下は戦争終結のために必要だった」と考えているアメリカ人は人口の八割に上る。未曾有の犯罪を自己正当化して傲然と構えている連中がそれだけいるのである。これは、日本人がアメリカに対して実質上、「反戦のための働きかけを何もしてこなかった」ことの結果ではないのか。自分たちが間違っているという可能性を少しも考えない連中に、ただ「核捨ててよ」と言ったって聞き入れるわけがない。もっと強権的に、たとえ敗戦国民であろうとも、「人間として」、「非戦闘員を大量虐殺する方法に正当性などない」という主張を、アメリカの政府に、マスコミに、教育機関に働きかけることをどうして日本人は怠ってきたのだろうか。
 確かに、毎年毎年、8月6日に、9日に、15日に、広島や長崎は世界に向けて不戦のメッセージを発しているが、どこで誰がそれを受け止めているのだろう。あんなものはただの風物詩にしかなってはいない。
 反戦を訴えながら、現実には日本は日米の協調路線を戦後60年に渡って継続させてきているのだ。政治的なレベルでは日本がアメリカに「核廃絶」を「本気で」訴えたことなど一度もない。現実に核も戦争も許容している歴史に協力していながら「反戦」を題目のように唱えたところで、誰がそれを信じるというのだろう。これでは日本の国内でも戦争の記憶が劣化していくのも当たり前である。
 広島の小学生たちの四割は、60年前の戦争のことも原爆投下のことも知らないという。原爆慰霊碑の「過ちは繰り返しませんから」の「過ち」という言葉に反感を抱いてキズをつけようとした馬鹿も現れている(慰霊碑のあり方に不満があろうが、それを暴力的に破壊しようとする行為が許されるはずがない)。これは「風化」などというヤワい言葉で表される現象ではない。
 日本人はこの60年、積極的にあの戦争を忘れようとしてきたのだ。8月が来るたびに戦争が「過去のもの」であることを確認し、その実態を思い返すことを拒否してきたのである。

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08月06日(土)
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