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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■ああ、勘違い/『海野十三敗戦日記』(海野十三著・橋本哲男編)
 夜7時から、天神岩田屋本店(元の「Zサイド」)NTT夢天神ホールで、『Musical Mates Planning vol.3 ミュージカル コズミック・ダンス』を見る。
 原作・脚本が堤亮二、原案・演出が井上ひさお、作曲は山口紗希栄・佐藤金之助・井上寿夫。詳しくは知らないのだが、みなさん地元の方だろうか。
 この劇団の芝居を見に来るのは初めてだけれど、劇団名からも分かる通り、毎回オリジナルのミュージカルを上演しているらしい。出演者は総勢34名、うらやましいくらいの大所帯である。
 物語はこんな感じ。
 大洪水から数百年を経た世界。残された陸地をめぐって、人々は果てることのない争いを続けている。戦火から取り残された東の珊瑚礁の島に、郵便飛行機が誤射で打ち落とされ不時着する。その島は精霊たちの住む島であった。そこでパイロットは、妹に似た女性に出会う。懸命に修理を続けるパイロット。現実と架空が交錯する中、彼は自らの生き方を自問自答し始める……。
 地方のオリジナル芝居が面白いということは滅多にないが(失礼)、これは設定と出だしにはなかなか見せるものがあった。しかし、いかんせん、登場人物が多すぎる。メインになるのはパイロットと妹、そしてその子供時代の幻想である二人の四人だが、そのドラマを縦糸に、島の住人たちや精霊たちのそれぞれのドラマが横糸のように描かれていくのであるが、残念ながらそれぞれのドラマが有機的に絡んでこない。ただひたすら大筋とは無関係なドラマが挿入されるばかりで、これが物語の幹を壊し、全体として散漫な印象に終始させてしまっている。
 キャラクターを減らして、もっと主人公たちの心をかき乱すような存在として精霊たちを設定し、また洪水後の世界との関わりをもっと目に見える形で描いていれば、舞台にもっと緊迫感や詩情も生まれたはずである。どうしてこんな話があっちこっちにふらつく本を書いたのかなあと疑問に思ったが、つまりこれ、この劇団が役者をたくさん抱えてるせいなんだね。できるだけみんなにいい役を振ろうと思ったら、どうしても「そういう脚本」にするしかないのだ。けれど、脈絡のない話をブツ切りで見せられるほうはたまったものではないのである。
 オリジナルの音楽でミュージカルを、という姿勢は高く評価したい。ただ、印象に残るほどの曲が少ないのと、やはり役者の力量にばらつきがあって、「聞ける」人と「聞けない」人の差が激しい。「使う」立場から行くと役者は簡単に切ることができないのだろうが、「見る」立場からだと「あいつとこいつは要らないなあ」とどうしても感じてしまう。人が少ないと、今度は「使えないやつも使わないといけない」事態になるので、それもまた悩ましいことではあるのだが。
 それからこれは芝居の本筋とは関係ないのだが、気になって仕方がなかったことが一つある。舞台になっているのがどうやら未来の沖縄らしく、セリフに「ニライカナイ」とか「マナ」とか琉球語がしょっちゅう出てくるのだが、その中に「キムジン」あるいは「キムジナー」という単語があったのである。パンフを見ると精霊のことで、「樹夢人(キムジン)」という字を当てるとある。
 これでズッコケてしまったのだが、沖縄の伝承にある精霊の名は、「キジムン」ないしは「キジムナー」である。樹の上の精という意味で、「キ」は「樹」、「ジ」は助詞で、「ムン」は「モノ」である。「ムナー」となるのは複数なので、すなわち「樹の者たち」である。
 昔、水木しげるがこの妖怪を『日本妖怪図鑑』か何かの自著で紹介するときに、うっかり誤植して「キムジナー」にしてしまっていた。おかげで私もかなり長い間、「キムジナー」が正しいと思い込んでしまっていたのだが、後に発行された本ではちゃんと「キジムナー」に訂正されている。
 ところが、もう30年も前の記述を鵜呑みにしたまま、未だに「キムジナー」が正しいと信じ込んでいる人が結構いるようなのである。恐らく、この芝居の作者も、昔、水木さんの本を読んで、勘違いしてしまっているのではなかろうか。わざと言葉を変えなきゃならない必然性がないからである。

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08月05日(金)
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