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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■壊れていく定め/『画図百鬼夜行全画集』(鳥山石燕)
 朝目覚めたら、手先が痺れて動けない。
 仕事を休んで病院へ行ったのだが、調べてもらったら、尿糖も血糖値も冗談じゃねえってくらいに上がっていた。手先も利かなくなるはずである。
 主治医から、「去年は調子よかったんですから、節制すればよくなりますよ」と元気付けられる。薬もとっくに切れていたので、こういう結果が出るのは予測がついていたのだが、実際に言葉で伝えられるとなかなかに辛いものがある。

 けれど、私のことよりも変化が激しかったのは父のほうだった。
 突然、夕方電話がかかってきて「木曽路」でしゃぶしゃぶを一緒に食べることになったのだが、言動がおかしい。
 父と姉との間柄があまりよくない状況はまだ続いている。本来なら姉に継がせる予定だった店を売っぱらうとか、かなり過激なことも何度か口にしていたのだが、この間から、今住んでるマンションを売り払って私やしげと一緒に住む家を探そうと考え始めている。計画に無理があるなあと思いながらも一応は付き合ってやらにゃあと、今度の日曜日にモデルハウスを見に行く約束をしていたのであるが、今日、「日曜は何時に待ち合わせる?」と聞いてみたら、「日曜日は俺、仕事やないか」とキョトンとされてしまった。自分が言い出していながら、そのことをすっかり忘れていたのである。
 記憶障碍はそれだけではない。
 昔話をするうちに、20年前、私が大学院に行かせてもらえなかったことについて話が及んだ。大学院まで行くことになれば当然東京で一生暮らすことになるわけで、それには父も母も反対した。まあ、カネもないということで、私は素直に諦めたわけであるが(当時は福岡に彼女もいたのでそれも帰省する理由になった)、それに関して家族間で大したトラブルはなかったのだ。
 ところが当時、父の友人で「どうして大学院まで行かせて学者さんにしてやらなかったのか」と父に意見した(余計なお世話ではあるが)人がいらっしゃって、父の店の常連客でもあるので、今でもたまにその方は昔を思い返して父を非難するのである。
 父は、「あの人は今でもお前を『何で大学……に行かせてやらなかったか』って俺に文句ば言いようばい」と言う。
 私が「まあ、別にぼくは行けなくても構わなかったけど」と答えたところ、父の態度が急に変わった。
「何ば言いよるか。あのときはお前と『行かせろ、行かせん』で二時間もケンカしたやないか」
 「え? そんなことしてないよ?」
 「何言いよるか。俺はちゃんと覚えとる」
 「だって、そんな喧嘩までして『大学院』に行きたいとか思ってなかったもん」
 「『大学院』やない、『大学』のことや! 」
 目が点になるとはこのことである。確かに私と父は、「大学」に入る前に「大学まで行って何するとや」ということでケンカをしたことがある。最終的には父か折れて、無事入試を受けさせてもらえたのであるが、どうやら父の頭の中では大学入試のときのことと、大学院に進学するときの記憶がごっちゃになっているようなのである。
 しかし、父が私を「大学に行かせなかった」と記憶しているとしたら、私が上京していた四年間は何をしに東京に行っていたというのであろうか。物見遊山か。それとも私が上京していたという記憶自体が父の脳からすっぽり抜け落ちているのだろうか。私が大学を卒業していないのならば、当然、今の職にも就けていないのだが、そのあたりの知識も父からは欠落してしまっているのだろうか。多分、そのあたりの整合性の不備も父には認識できなくなっているのだろう。
 父は、車から降りるときにもドアの開け方が分からなくてモタモタしていた。もう何度もしげの車には乗っているというのに、取っ手の仕組みをすぐに忘れてしまうようになっているのである。
 年を取ってきて、同じ話を何度も繰り返す率はかなり高くなってきていたが、日常的な記憶の混乱もひどくなっている感じで、「それはそうじゃないよ」と言えば、頑固に「俺の方が正しい」と言い張る。追及しても仕方がないので、私は口をつぐむことも多くなった。

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07月28日(木)
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