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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■杉浦日向子さん死去/『ラインの虜囚』(田中芳樹)
夕べ、グータロウ君に『鋼の錬金術師』の酷評をメールで送っといたら、今朝になって「今日、見に行くんだよ」との返事。また「しまったあ、やっちゃったあ」である。映画にしろ本にしろ、事前に先入観を与えないようにしようと気をつけているつもりではいたのだが、腐女子風味満載のあの映画までグータロウ君が見に行くとは予想もしていなかったのである。メールの返事は「ウチには腐女史もオタク小僧もいるから」とのことだった。
何となくお子さん方の将来が心配な発言ではあるが、最初からつまんないだろうと予測していやいやながら見に行くのもよくなかろうと、「『ゴジラ ファイナルウォーズ』を見に行くつもりで行きなよ。キャラだけは一杯出てくるから」と再メール。実際、昨日の日記ではああだこうだと文句をつけはしたが、映画『デビルマン』に比べたら全然許せてしまうレベルなのである(まだ『デビルマン』ショックを引きずってるな、オレ)。
夜、映画を見たグータロウ君から、「『Zガンダム』より100倍も面白いじゃないか!」と返事が来た。そこまで言うとはさすがは『ゴジラ ファイナルウォーズ』を絶賛しただけのことはある。いつもは「映画は完成度で見よ」とか言ってるくせに、なんで一部の映画に関しては自分の中の基準も取っ払っちまうのかなあ(笑)。エドとアルを見ろよ。あいつら、自分たちのことしか考えてなくて、ノーアもウィンリィもほっぽらかしだぞ? あんな「男のエゴイズム」がプンプン匂う映画を褒めちぎってると、「男性優位主義者」と勘違いされちゃうぞ(笑)。全く、彼のご家庭の平和が心配なことである(あえて表現を「変えて」いるので、気がつかない人は気がつかないと思うが、そういう「要素」に「腐女子」は惹かれているのだね。さぞや同人誌は萌えることであろう)。
作品評価は、その作品の持っている要素の何に注目するかによって全く変わってしまうものだから、意見に相違が生じたからと言って、それで即、ケンカになったりするものではない。ところが、ネットを散策してると、すぐにトサカに来て罵詈雑言を垂れ流す御仁が目に付く。たいていは人の意見を咀嚼する能力に欠けていて、ちょっとでも自分の好きな作品を批判されると、作品のみならずそれを好きな自分の全人格まで否定されたかのように激怒するのだ。誰もそんなことは言ってないのに。
『劇場版 鋼の錬金術師』についても、総体としてはちょっとなとは思うけれども、全否定をしているわけではない。演出の見事なシーンはいくらでも挙げることができる。エドとノーアが出会って、お互いの気持ちが通い合うあたりまでの流れなど、なかなかのものだなあと感心していたのだ。ジプシーの歌や踊りのシーンなども、作画と音楽のタイミングが実に見事だった。
でもだからこそ、せっかくの設定が生かせていない、キャラクターの始末がきちんと付けられていない、人気キャラをともかく出さなきゃならないから人物ばかり右往左往して物語がゴタゴタしてくるなど、「テレビアニメを映画化した場合の弊害」がやたら目立って、総合的に見た場合は「つまんない」としか言いようがないのである。あの本筋の話の流れなら、マスタングとか出てくる必然性ないんだよね(なのに「マスタングの出番がすくなーい!」とか文句付けてる馬鹿がやたらいる)。出さないわけにはいかない「オトナの事情」は分かるんだけど。
「ジプシーじゃない、ロマよ。人間って意味」とか、そんなセリフまでノーアに言わせておいて、それがドラマを盛り上げることもなく、せいぜいキャラクターにちょっとだけ彩りを加える程度の演出にしかなってない点に気がつけば、原作とかテレビシリーズとかよく見てなくても、「こりゃダメ映画だ」という判断ができると思う。ノーアはもっと物語に絡むべきだった。差別と迫害の中で、仲間からすら裏切られて、異世界へ逃げ出したいという思いが強いなら、もっと自分の能力を「悪用」してでも、エドやアルを犠牲にしてでも扉の向こうに行きたい、そういうドラマを用意するべきだった。テレビシリーズの初期のロゼとキャラがかぶっちゃうけど、劇場版は所詮テレビシリーズの「なぞり」なんだから、そこまで徹底しちゃってもよかったと思うんである。
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07月25日(月)
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