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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■寝たい眠たい眠りたい/『アタックNo.1』第六話
なんか寝不足がかなり酷くなってる。いや、これは地震のPTSDではなくて、原因はまたまたしげである。最近、しげの「ドメスティック・バイオレンス」、いや、「ドメスティック・スリーピング・バイオレンス」が酷いのだ。
ともかく夜中にいきなり寝言を言ったかと思うと、隣に寝ている私をいきなり殴ってくる。今朝も午前2時ごろに「どうせ『欽ちゃんの仮装大賞』に出るっちゃろ!?」と叫んで、パンチで鼻を殴られた。もちろん、その直後にしげはイビキをかきだす。横じゃたまらんと下にさがると足でカニバサミをされて首を締められる。起きてるときに文句を言っても「眠ってるんだから知らんよ」と言われる。ホントか? ホントに寝てるのか!?
おかげで職場のイネムリも酷くなってきていて、まずいんだけど。会議中にどうもイビキかいたらしくてよ。周囲の笑い声で起きちまったよ。
誰か私に安眠をください。
昨日の日記で書こうと思ってたけど疲れて寝て書けなかったテレビ番組の話。
『確立10000000分の1!? 世にも不思議な超偶然事件簿!! あれは奇跡? 奇跡じゃないってば!! 世界の奇跡を藤井隆が暴きます』と、タイトル写すだけでいやになるほど長い。番組自体は世界で起こった「奇跡的な事件」が、本当に「奇跡」と呼ぶに値するものなのかどうかを専門家の意見を聞いたり実験したりして検証しようというもの。別に藤井隆自身が何かするわけではない。唐沢俊一さんもチラッと出てたがたいしたコメントはなし。つか編集でかなりカットされてるんだろう。
「奇跡」と言っても、キリスト教国家における「神の奇跡(「奇蹟」と書く場合も多い)」って感覚は日本人には殆どなかろうから、「めったにない出来事」くらいの意味合いでしか使われてないんじゃないか。事故で命が助かっても「奇跡」と簡単に使われちゃうくらいである。私も頭蓋骨骨折の事故で意識不明の重態に陥ったが、「奇跡」的に生還したことがあるが、これだって「運がよかった」「偶然だろう」と言われてもその通りなんで、「いいえ奇跡です」なんて強弁するつもりは毛頭ない。
番組内で伊東四朗も「私と君が出会ったのがそもそも奇跡」となんか恋人を口説く定番な台詞を藤井隆に向かって言ってたが(笑)、つまりは「奇跡」と「偶然」の違いなんてその言葉に込められた「思い」以外には実質的な差異はないのだ。「ただの偶然」だと分かっちゃいても、危機的な状況から身内が生還したりすれば「奇跡」と呼びたくなるのは人情というものだろう。
だから「奇跡じゃないってば」というアプローチの仕方にはどこか粋じゃないっつーか、野暮っつーか、別にどっちだっていいものをムキになって否定しようとする神経症的なニュアンスがあるっつーか、番組製作者の性格の悪さがそこはかとなく感じられてちーとばかしやな印象なのである。まあ泡沫番組にいちいち目くじら立てるのだって粋じゃないけどな。
しかしこういう番組が成立してしまっている、というのは、逆に「奇跡」の概念が若い人たちの間では我々の世代よりも過剰な形で捉えられ、それこそ「信仰」的なものにまで昇華させられているせいもあるかもしれない、という気もしてくる。なんかオカルティックなものを無条件で信じて力説するヒトも決して少なくはないから、いっぺん神秘的な思考に偏りがちな人たちに対してはハッキリと「幽霊もUFOもUMAも永久機関も神様もいないんだよ」って否定してあげといたほうがいいんじゃないか。その意味ではこういう番組のほうが検証なき『ふしぎだがほんとうだ』みたいな『奇跡アンビリーバボー』よりは面白い。欠陥は多々あるけど。
番組で取り上げられてる事件は、オーストラリアで起きたカンガルーの人命救助や、海に落とした指輪がタラの腹の中から見つかった出来事、別れ別れになった恋人が50年ぶりに再開したりとか、このへんは「奇跡」といってもそうたいしたことはない。
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05月19日(木)
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