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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■人を呪っても穴がない/『D.Gray-man(ディー・グレイマン)』4巻(星野桂)
6時40分起床。けれど本当は6時に起きる予定だった。
父はいつも6時20分のバスに乗って店まで出勤している。博多駅から降りて店まで歩くのに10分くらいはかかるから、夕べ父に、「朝は車で送るよ」と約束していたのだが、当然、父はもう出かけている。恐らく、我々が高鼾で寝ていたので、起こしちゃ悪いと、一人でそっと出ていったのだろう。
実は私は、いったん4時に目が覚めていたのだが(寝床が変わって広々とした場所で寝られても、不眠症が治るものでもない)、出かけるにはいささか時間が早いし、まだちょっと体もうまく動かない。とりあえず、テレビを点けておくことにした。そうしておけば、うっかり寝込んでも音の変化ですぐまた目覚めるだろうという判断だったのだが、寝惚けたしげが、私がウトウトした隙に勝手にテレビを消していた。
ハッと目覚めて、時計を見たときにはもう遅い。
暢気に鼾をかいていたしげを起こして、「おまえ、テレビ消したな?」と聞いたら、寝惚けた声で「消し忘れかと思ったから」と答える。
「うちでも朝はいつもテレビ点けてるだろ!? 寝過ごさないためにそうしてるのに、何で勝手に消してるんだよ。それに、そういうことするんならどうしてお前は自力で起きないんだよ!」と怒ったが、しげは「ああ、ごめん」と口にするものの、またすぐ布団の中にもぐりこんでいる。もちろん、罪悪感から恥ずかしくなって顔を隠したわけではさらさらない。ただ単にまだ眠いだけである。しばらく待って、7時を回ったころにもう一度声をかけた。
「もう大概で起きろよ。店に行って、ここの鍵を返さないと」
「じゃあ、『釣りバカ』見てから店に行こうか?」
「ばかやろう!」
寝過ごして約束を守れなかったことを申し訳ないと感じる心がないのだ。日ごろ、他人に対しては時間の感覚がルーズだのなんだのと文句を垂れるくせに、自分には甘いのである。こういうところが「ずるい」のだが、結局しげは起きてても半分寝ているような生活を送っているので、自分が卑怯者だって自覚もないんだろう。こいつと一緒にいると、本当に疲れる。
父のマンションに泊まったときでもこんな風にぐーたらだと、今後もしも父と同居するようなことになった場合、ちゃんとした生活ができるものかどうか不安だ。なんでもソツなくやれと言いたいわけではないが、日常のリズムを作れないのが生活習慣の乱れに繋がっているのは間違いないことなんで、少しは改善しなきゃって思いを持ってもらいたいものである。でなきゃ、病院に通ってる意味だってないよ。
店に顔を出すと、仕事中の父、案の定、「気持ちよさそうに寝とったけん、起こさんやった」と答えた。ともかくムカシの人間というのは人に気遣ってばかりで、それはたとえ親子の関係であっても同じである。一言声かけて、「起きろ」と言ってくれればいいのに、その程度のことでも遠慮される。一緒に食事をしても、油断すると飯代も全額自分で払おうとするような親なので、息が抜けないのである。世間の親というものは、年を取ったら、もうちょっとわがままになるものじゃないのかね。
ここんとこ、兵庫県尼崎市のJR福知山線脱線事故のニュースは、JR西日本のアラをいかに見つけるかに腐心しているように見える。
そりゃ、実際に事故を起こした責任はJR西日本にあるのだし、その体制に問題があって、今後も同様の事故を起こしかねない点があるのは確かだ。たかが一分半の遅れが原因で、過剰な懲罰を受けるというのは、諸外国から「日本独自の現象」とか非難されてたけれども、日本人全般の感覚からしても非常識だと思うぞ。あれを日本の常識だと思われては迷惑だろう。二、三分程度の遅れはザラなJR九州なんてどうなるんだ(いや、遅れていいと言いたいわけじゃないけれども)。
だから、その責任を追及することは確かにマスコミの仕事であろうとは思うのだ。けれど、だとしたらやはり、新聞もテレビも、今のような揚げ足取り的報道の仕方はちょっとおかしい、と自分たちで気づかなきゃいけないのではなかろうか。なんか、責任追及の目的から外れてしまっているように思えてならないのである。
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05月05日(木)
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