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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■すれ違う言葉/『不死身探偵オルロック 完全版』(G=ヒコロウ)
今朝も震度1の地震。慌てて飛び起きる。早起きできるのはいいけどねえ。
職場で、オタクなAさんと話していて、こないだのG2プロデュース公演の『Candies』に、Aさんも来られていたことを知った。オタクな趣味といい、映画や芝居が好きなところといい、ホモオタさんに関わった過去があるということも含めて(そんなことでは共通体験を持ちたくはなかったが)、妙に気が合っている。それはそれとして、話が弾むと仕事が進まなくなることもあって困りはするのだが、縁というものは確かに奇なものであるなあとしみじみ思う。なんだかいろんなところで偶然繋がる人はいるものである。
もっとも、手当たり次第に舞台や映画を見ていれば、こういう偶然は結構起きる。そして、「偶然」とはいっても、「地震」や「戦争」などといった、本人の意図に関わらず、その時代、その地域にいた人たちがみな巻き込まれてしまう「偶然」と、「同じ舞台を見ていた」という「偶然」とは、同じ偶然でも意味合いが違うものである。地震はそこにいさえすればしたくなくても勝手に体験するが、芝居を見に行く、というのは言うまでもなく自らの意志で取った行動である。より「同志」としての感覚は強くなる。オタク同士のつながりなんて、結局はそういうものだ。
若い人と会話をしていて楽しくならないのは、別に映画や舞台に限らず、音楽だろうがマンガであろうが、趣味の範囲がえらく狭くて、話題に事欠くことが多いからである。しかも、同じものを見ても、意見が違えば拗ねたり腹を立てたりと、コミュニケーションの基本がなってない場合も多い。最近も職場の若手連中とお喋りしていて、その頑なさに驚いたことが多かった。
「新しい『ドラえもん』は見る気がしない。つまらないから」
「『ガンダム』(このときは『THE ORIGIN』の話題であった)なんて見る気がしない。つまらないから」
「『PLUTO』なんて見る気がしない。つまらないから」
ニベもないとはこのことであるが、こういう人たちと会話を成立させることがいかに難しいか。しかも彼らは友人同士でも殆どマトモな会話をしているとはいい難いすれ違いを見せているのだが、信じがたいことに自分たちでは会話が成立していると思い込んでいるのである。
「○○って面白いぞ」
「ふーん、面白いと言えば××は面白いよな」
「ふーん。この映画に出てる△△ってキモくね?」
「さあ? オレは□□が好きだけど」
彼らは、こういう会話が楽しいのだろうか?
Aさんと話していてつらくならないのは、意見が違っていも、互いが考えることの根拠、思考の立地点と着地点がどこにあるかを認めあえるからである。
しげとも最近話したことであるが、「痛いオタクとそうでないオタクのどこがどう違うか?」というのは、その「相手の立地点」を認めようとする人間かそうでないかで分かれると思う。なんかもう、自分のことだけ喋りまくる「痛すぎる」オタクがいかに多いかってことなんだけれどもね。
父に誘われて、女房ともども「万葉の湯」へ。
先日、父から電話がかかってきて、
「連休中の予定はどうや?」
「別にないよ」
「地震で部屋がずっと散らかったままやろう。予定がないならゆったりうちで過ごさんや?」
と誘われて、あっさり父のマンションに泊まることになったのだが、その前にひとっ風呂浴びようということになったのである。「万葉の湯」はウチの近所にあるのだが、今までに利用したことはない。理由は簡単で、料金が高いからである。大人1890円ってなあ、そのへんのスーパー銭湯に比べると、1.5倍くらい高いぞ。まあ、父の奢りだから、遠慮なしにゆったり浸かることにする。わざわざ大分・由布院と佐賀・武雄の湯を毎日タンクローリーで運んできているというのがウリなので、この値段なのだろう。本場の温泉ったって毎日浸かるんじゃなきゃ、たいして効能はないと思うがね。
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05月02日(月)
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