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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■映画をイデオロギーのみで見てしまうことの愚/映画『パッチギ!』
なんとか週末まで凌いだが、今日はしげの方がダウン。迎えに来る元気がないというので一人で帰る。あとで一緒に映画でも見るか、と誘ったが、それも断わられた。また心のバランスが崩れて夕べは一睡もできなかったそうだから、今日は昼から寝込んでしまっているのである。でも眠れなくて次の日眠り込んでるんだったら、やっぱり眠っているわけで別に不眠症ってわけじゃないと思うんだが、これって心のバランスよりからだのバランスの問題じゃないのか。
博多駅、シネリープル博多で、映画『パッチギ!』。
タイトルの「パッチギ」はハングルで「頭突き」のこと。朝鮮人にとって頭突きはなんかアイデンティティーに関わる文化なのか? よく知らんけど。
在日朝鮮人を題材として扱っているとなると、その批評はどうしても「思想」がらみで語られてしまうことが多い。Yahoo掲示板の批評、感想の中には絶賛もあれば罵倒もあるが、罵倒の殆どが「思想」がらみの発言であった。脚本だの演技だの演出だのについての批判が出て来ないあたり、通常の映画の鑑賞とは全然違った捉えられ方をしている。それはこの映画にとってはかなり不幸なことである。
正直な話、私も見る前は露骨なプロパガンダ映画になってたらどうしよう、と危惧していたのだ。実際に見てみると、確かに日本の過去の罪を糾弾する描写が若干ありはしたものの、しつこく感じるほどのものではなかった。この程度の映画を思想的に偏向している映画であるかのように非難するのは、神経過敏に過ぎまいか。映画も含めて全ての芸術活動が時代の産物である以上は、政治と全く無縁であることは不可能ではあるが、かと言って、「政治のみ」で穿った見方をしていいってものでもない。絶賛も罵倒もこの映画に関して批評している人間は、著しくその精神のバランスを崩しているように思う。
もちろん、「なんで北朝鮮の肩ばっかり持ちやがるんだ」という意見が出てくるのは理として分からなくはない。私も映画を見ていて一瞬眉を顰めたのは、ヒロイン(在日朝鮮人)が主人公(日本人)に「ふたりがいつか結婚するとして……あなた、朝鮮人になれる?」というセリフだった。聞いた瞬間だけではあるが、「相手を自分に合わせることだけ考えて、おまえは日本人になる気はないのかよ」と突っ込みたくなったわけである。けれど、現実問題として在日朝鮮人の方から日本人になることは周囲から「迎合」と見なされるので、簡単には言えないという事情も分かりはする。それにこれは、民族としてのアイデンティティの問題でもある。プロポーズされているのは自分の方なのだから、ここで「私も日本人だったらいいのに」なんてセリフを言ったとしたら、あまりにリアリティに欠けるというものだ。
「在日朝鮮人はどうして帰化しないのか?」という疑問は、短絡的というよりもパトリオティズム(自国に対する誇り)が理解できないゆえのもので、そういうセリフを口にする人は、「日本は実質アメリカの属国なんだからさっさとアメリカの州の中に入れてもらえばいいんだ」と言われても怒りもしないのだろう。いや、そう言われて腹が立つっていうんだったら、朝鮮人に対しても同様のセリフは言っちゃいかんだろう。他人の傲慢には憤っても自分の傲慢は見逃すというのでは人間としての格が低過ぎるというものである。
でもほかにも見ていて「なに言ってやがる」と思ったシーンはあった。
登場人物の一人(在日朝鮮人)が事故で死んだあと、葬式の席で遺族たちが、主人公(日本人)に強制連行の話を持ち出し、涙を流しながら「帰れ」と怒りをぶつける場面である。
この映画の時代設定は1968年、作中で語られることはないが、当時既に北朝鮮による日本人の拉致は行われ始めていた。我々観客は、当然、そのことを知った上でこの映画を見ているのだが、井筒監督、そういう観客の心理状態まで考えずにこのシーンを撮影したのではないかと訝んでしまう。
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01月28日(金)
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