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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■お客が来ても樽の中。
 公演が近づいてきたこともあり、週末はお泊り客が増えてきているが、本日は夕方から下村嬢が来訪の予定。深夜にはカトウ君も来るとのことである。それで、また本だのDVDだので散らかりつつある居間を少し整理して行く。
 テレビの前に未整理のDVDがひと山になっていたので、ラベルを付けて棚の隙間に詰めこんで行く。その過程で、自然、居間の中央にいったんDVDや本を寄せていくので、一時的に足の踏み場がなくなってしまう。それを見てしげが「何、散らかしよるん!」と怒るのだが、じゃあ、しげが片付けをしてくれるかというと全然そんなことはないのである。やっぱりディオゲネス症候群なのかね(樽のディオゲネスは自分の住んでいる樽の中を散らかしてないと落ちつかなかったそうな)。

 だいたい、結婚当初は私もヒマを見つけては本の整理をしていたので、ここまで部屋が腐海化することもなかったのだが、私が片付けるはしからしげが散らかしまくり、その癖あとはほったらかし、読んだ本を適当にあちこち放り出したまま片付けようとはしなかった。いくら叱ってもしげは口先でだけ「ちゃんとする」と言うだけで、一向に改善しようとはしなかったので、私もだんだん徒労感に苛まれくたびれはてて、いつしか整理することを放棄してしまったのである。
 以来、本は乱雑に積み重ねられたままである。
 これもしげに人並の記憶力がからきしないせいなのだが、あの阿呆はいったん本などを取り出して半日もすると、それがどこにあったかわからなくなり、元に戻せなくなるのである(これが誇張でないことは、以前の日記でしげに「記憶実験」を試みたことがあるのをご存知の方には納得していただけるだろう)。

 一事が万事その調子で家事をしないしげだが、それでも客が頻繁に訪ねて来る状況だったりすると、少しは何とかしなきゃなんないなあ、という気持ちにはなっていた。……数年前までは。
 以前、よしひと嬢が泊まりに来るときにはあのしげでさえも、かなり気を入れて掃除をしてはいたのである。けれど三十路にさしかかろうかというころから、自分が「素敵な奥さん」になることは永久にムリ、と勝手に悟ってくれたらしい。洗濯ものを溜めまくって風呂場への通路を塞いで、風呂を使えなくても平気、という状態にしておいて平然とするくらいに、だらしなくなってしまっていたのである。
 カネを払えば少しは家事をするかと、去年あたりは給料制でしげに家事をさせていた。ところが今度は本人が「家事をした」夢を見て(あるいは錯覚して)、それを現実と取り違えて給料を請求するようになったので、これも結果として効果はなかった。自分がサボれる方向に都合よくアタマがイカレてくれるのだから、全くありがたいことである(←この「ありがたい」は本来の意味での「有り難い」ということね)。
 結局、しげに家事をさせるには、いちいち側に付き添ってやって、「あれをしろ、これをしろ」と命令するしかない。でもそれでは家事の分業なんて成り立たない。まっとうな家族関係が送れないどころか、しげと付き合うだけの体力が私にはもうなくなってしまった。自分が綿のように疲れ果てているのを感じるばかりである。

 それでもここんとこ、劇団のみんなから(特にカトウ君から)「少しは家事をしたらどうだ」と責められていることもあってか、しげも少しは家事をするようになった。けれどそれも所詮は「少しは」のレベルでしかない。世間では、2、3週間に1回、洗濯をしたり、ゴミを捨てたりするのを「家事」とは言わない。しげは「なんで人んちのことにいちいち口出しされなきゃなんないんだよう」とブー垂れているが、「ウチ」というものが成り立ってないのにそんな口を利く方がよっぽどフザケているのである。

 今日は珍しくもお客さんが来るんだからと、昼間から台所を片付けていたしげだったが、それもただ食器を洗っていただけである。しげにとってはそれでも大労働したつもりになれているのだから、能天気なことだ。日頃はこの程度のことも全然やらないで寝てばかりなんだから、これで履歴書に「主婦」と書きこむのは強心臓にも程があろう。

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11月27日(土)
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