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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■週末だけど週末じゃない/『なんてっ探偵アイドル』18巻(完結)
 もう出勤してくれなくていいのになあ、と思っているとやっぱりしぶとく出勤してきたトンガリさんであるが、なんか反省したかというともちろんそんなことするわきゃないのである。それどころか、私が出した資料について、「ここんとこがおかしいのではないか」と文句を付けてきた。
 あのさあ、そこんとこはね、アンタが資料提出してくんなかったから、私が調べて訂正したとこなんだよね(-_-;)。そのこと、会議の席上でも言ってたのに、何も聞いてなかったんだなあ。つか、聞いていてもトンガリさんのつるぺたな脳みそでは理解できなかったに違いない。なるほど、会議に出たがらないはずである。
 この分だとトンガリさん、この先またどれだけミスをするか見当もつかない。完璧な人間なんてものはいないが、かと言って、ここまで無能なのがハッキリとした人間もそうはいない。これで堂々と給料貰ってるんだから、全く、世の中をナメて生きてく人間も増えようというものである。


 仕事の合間に、職場の若い連中と、映画の話などで弾む。
 アタマの回転はそんなによくはないのだが(^o^)、やたら映画が好きなやつがいて、月に数本は映画を見に行っている。若いやつらの財政状態を考えれば、これは充分「映画ファン」と称してよいくらい、見に行っている方だと言えるだろう。
 最近は『ヴィレッジ』を見に行ってきたそうだが、ちゃんと「マナー」を守って、見てない連中がいる前ではオチを言わない。この程度のことも守れないヤカラが多いことを思うと、なんだかすごく貴重に思える。
 お喋りしているうちについつい気分が高揚してきて、
 「映画も本もさあ、世間の評判とか人の批評とか気にしなくていいんだよ。自分が面白いと思ったものは、ほかの誰が何と言おうと好きだって言わなきゃな」
 とか、エラソウなことを言う。でも実際その通りなんで、一つの映画を「語り尽くす」ことなんて、もともと不可能なことだ。結局、人は自分の知る限りの範囲でしかものが見えない。自分の「限定された知識と教養」に基づく視点でしかモノは語れないのである。意見が対立する、というのは、実際はお互いの「視点」が違っているに過ぎない場合も多い。だから、事実誤認による勘違いなどは除いて、よっぽどのことがない限り、映画の感想で「間違って」いることなどはありえない。だから、自信を持って映画を語って構わないのである。


 仕事のないしげ、定刻通りに迎えに来る。
 しげ、今日のカウンセリングで、担当のカウンセラーさんに本を勧められたとか。
 タイトルは、『高機能自閉症・アスペルガー症候群「その子らしさ」を生かす子育て』(吉田友子・著)というもので、どうやらカウンセラーさんは、しげの病気はこれではないか、と考えていらっしゃるらしい。
 私には「自閉症」の知識は殆どない。単なる「ヒキコモリ」ではなく、脳の疾患かなんかだったような、ってことをなんとなく聞いたことがあるが、そう言われてみると、しげの症状に当てはまるような気もしてくる。カウンセラーさんは私にもこれを読んでほしいような感じだったらしい。しげは「専門家でもない人間がそういうの読みたがるのってヘン?」と聞いてくるが、別にヘンでもなんでもなかろう。「人間」に興味のある人なら誰でも一度は心理学関係の本に手を伸ばすものである。
 しげがすぐにでもその本を買いたいと言うので、「ダイヤモンドシティ」に行く。
 回転寿司屋で食事をしたあと、「フタバ図書」へ。ここは本の検索ナビがあるので、特定の本を探すのには便利である。面積や書籍数だけでなく、こういうサービスがあるかないかでも本屋の差は生じてくる。ほかの本屋に比べて紀伊國屋やフタバ図書をついヒイキしてしまうのも、検索ナビがあるって点が大きいのだ。
 フタバ図書では目的の本が見つからなかったので、とって返して博多駅に向かう。
 いつもは本屋を何軒も回るのはめんどくさがるしげなのに、今日はえらく積極的だ。こういう積極性がどうして家事に向けられないのか不思議なのだけれども。

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09月24日(金)
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